シンナーの臭いをさせた小柄な新入生「マサフミ」との出会い
今から34年前、水谷さんの薬物との戦いは港高校(横浜市の定時制高校)の入学式で始まった。
1991年4月6日、生徒指導部長として入り口で立っていた水谷さんの横を、シンナーの臭いをさせた小柄な新入生が通った。
その生徒が「マサフミ」だった。
マサフミは小学6年からシンナーを始め、補導2回、鑑別所23日、児童自立支援施設3か月を経験していた。
父親は川崎の暴力団のチンピラだった。
抗争で鉄砲玉をやらされ、拳銃で心臓を打ち抜かれて即死した。
母親は横浜に逃げてきて、パジャマを縫う工場で働きながらマサフミを育てた。
マサフミは6畳1間の部屋で母親と2人で暮らしていた。
部屋には小さな冷蔵庫とテレビが1台ずつあるだけで、勉強机も漫画もゲームもなかった。
小学5年の8月、母親が病気で寝たきりになり、8か月間、電気もガスも止められた真っ暗な寒い部屋で生活した。







