◆感謝の気持ちが自己の幸福

自暴自棄になりそうな苦難の時期を乗り越え、成迫は信仰の道を進む中で、考え方が変わっていったという。
(若き世代への勧告―信仰と幸福― 成迫忠邦)
その後、この死刑囚の棟に信仰に厚い方が新しく入って来られたので、その方に教えを受け、また花山先生の指導を得て信仰の道をひたすら進むことができるようになり、初めて自己に目覚めた。そして人生の価値を独房生活の中に見出し、そよ吹く風にさえ、いつしか感謝の念が起こり、周囲の白壁は体操の要具代わりとなり、屋外運動では日光に歓びを覚え、桜花緑葉を心から賛美し、しみじみと自然の恩恵の大いさを感じ、かつては敵視して来た米兵を兄弟友人の如く思い、ときには感謝状を送る等、心境は一変して来た。要するに感謝の気持ち、これがとりもなおさず自己にとっての幸福ではなかろうか。
◆地位や財産は幸福そのものではない

スガモプリズンの獄中で、死刑執行を目前にしながら、成迫は幸福とは何かを語っている。
(若き世代への勧告―信仰と幸福― 成迫忠邦)
では一体幸福とは何か。これは人生の最高理想であろう。一般に幸福を地位や財産に求めているようであるが、これらは欲望満足の材料ではあっても幸福そのものではない。私達の真の幸福は信仰の生活の中にある。世間には幸運に恵まれて巨万の富を獲得したもの、或いは稀なる高い地位を得たものもあろう。彼らは果たして自分の財産や地位に満足したであろうか。
◆欲望に追われる人間は満足を感じ得ない

(若き世代への勧告―信仰と幸福― 成迫忠邦)
教主釈尊はいう「人生は苦なり」と。一つの欲望の後に他の欲望が待期し、充たされても充たされても窮極の満足はない。羨望された巨万の富も、そして地位も、時代の変転の前には、はかなく壊れて行くのであり、幸不幸は表裏一体の如く循環して果てしがないのが人生の常態である。限りなき欲望に追われる人間は今日一日の満足を感じ幸福を味わうことすらなし得ない。常に未来に向かって満足を求め、幸福を追って生きている。これでは永遠に真実の幸福を得ることができる筈がない。