特攻隊の一員として19歳の若さで亡くなった男性の慰霊碑が福岡県北九州市の神社にあります。

慰霊碑のそばにある石碑には亡くなった男性の姉が詠んだ短歌が刻まれ家族を失った哀しみを伝えています。

空への憧れ 多くの若者が志願

福岡県北九州市八幡西区の杉守神社にある慰霊碑。

当時の遠賀郡出身の中村正直さんは1945年=昭和20年に特攻隊の一員として戦死しました。

慰霊碑のそばに正直さんの姉上村キミコさんが建てた石碑にはその日のことが詠まれています。
【石碑に刻まれた短歌】
スマトラ島当たり当たりと通信す二時間後、家に記者来たり

正直さんは1941年4月、16歳の時に東京陸軍航空学校に入り、通信を担当する少年飛行兵になりました。

当時は日米が開戦する前で、空への憧れを抱く多くの若者が志願していました。

上村キミコさんの息子で中村正直さんの甥 上村一さん
「少年飛行兵の試験を受けて合格した。その辺の心境は分からないですけど、難しい環境だったかもしれません。自分の意志とかどういうことをしたいとかあったと思うんですけど、日本の状況とか家族を守るとかあったかと思います」