長崎市内の原爆被災碑銘板をたどるコーナー「被爆80年ノーモア、銘板が伝える8・9」今回は現在の長崎スタジアムシティの場所にあった福岡俘虜収容所第14分所です。

爆心地から南におよそ1.7キロの場所にあった福岡俘虜収容所第14分所。

今月7日、長崎スタジアムシティの敷地内で銘板の移設式が行われました。

捕虜収容所には当時、オランダ、イギリス、オーストラリアの捕虜およそ200人が収容されていて、原爆で8人が死亡したとされています。

元捕虜でオランダ人のウィリー・ブッヘルさんは収容所で被爆しました。

ブッヘルさん「その捕虜は体格は良かったのですが、落ちてきた梁の下敷きになって抜け出せませんでした。皆でその梁を取り除こうとしましたが、重くて動かせませんでした。そのうち、火の手が上がり迫ってきたので、私たちは彼を置いて逃げなければなりませんでした。結局、彼は焼け死にました」

被爆から80年、銘板は原爆で外国人捕虜が犠牲になった事実を伝え続けます。