
佐竹さんは、終戦後に奄美へ戻った人に聞き取りをしました。
奄美出身で18歳の時に長崎の工場で働いたという女性は、魚雷を磨く仕事にあたっていました。
昭和20年8月9日午前11時2分、長崎に原爆投下…

(ノートに記録された女性の証言)『ガラス片が、右の脇下。魚雷を磨いていた4~5人の体がばらばらになった。(島に戻っても)花火とか雷、いなびかりは、見られない』

(佐竹京子さん)「紬の織工さんたちの手先の器用さが、軍需工場の候補にされて連れていかれた。(被爆の苦悩を)言いたいはずなのに、言わないで生きてきてしまった時間。そういう時間を二度と起こさないでほしい。戦争だけは」










