鹿屋市にある国立ハンセン病療養所「星塚敬愛園」。開園から90年の節目を迎えたきょう28日、式典が開かれました。入所者は今もなお残る差別の苦しみを訴えました。

(星塚敬愛園 山元隆文 園長)「社会から厳しい、激しい偏見・差別を受け、強制的にその後の人生を決定づけられた。これまでの苦難・苦痛は想像を絶するものであった」

ハンセン病は、かつて「らい病」と呼ばれ、細菌の感染で末梢神経がまひするなどして、顔など体の一部が変形する後遺症も残ったことなどから、激しい差別の対象となりました。

1931年の「らい予防法」制定で患者の隔離政策が始まり、星塚敬愛園はその4年後に開園しました。

多い時で1300人余りが強制収容され、ふるさとに帰れずに亡くなった2196人の遺骨が今も納骨堂に納められています。

開園から90年の節目に開かれた28日の式典では、入所者が今も差別が残る現実を訴えました。

(入所者自治会 山口文夫 会長)「スーパーに買い物に行ったとき、私たちを指差しながら後ろで、『この人は敬愛園の元患者だ』と聞いた。これがまだ現実なんだ。世の中の偏見・差別を闘いとして、もう1回やるべきではないか」

園の入所者は現在49人となり、平均年齢は90.4歳。国家賠償訴訟などに関わってきた徳田靖之弁護士は、「国の責任で療養所を残すべき」と話します。

(徳田靖之 弁護士)「二度と繰り返されないために、加害の歴史をきちんと伝えることと、人間としての尊厳をかけて闘い抜いてきた人たちの闘いと暮らしを伝えていくことが大事。国と地方自治体の責任において、後世に伝える施設として残していかないといけない」

ハンセン病の教訓をどう後世に伝えるか?療養所は90年の節目を迎え、新たな課題と向き合っています。