
県人会のメンバーの一人、小松大作さん(81)です。
震災当時、神戸市の職員だった小松さん。震度6を観測した神戸市須磨区の自宅で被災後、家族の無事を確認し急いで市役所に向かいました。

(小松大作さん)「浜のほうに行くと大変な状況。ガスのにおいがすごかった。事務所が無茶苦茶になっていて書類が飛んだり机が動いていたり壁には亀裂が入っていた」
小松さんは発災から半年間、支援物資の受け入れに追われました。

震災の4年後からは、神戸市の市長室長として街の復興を見守りましたが「地震前の行政の備えは十分ではなかった」と後悔しています。
(小松大作さん)「地震は今までも経験したことがなく、備えもなかった」

Q.地震の想定や避難計画は?
「形式的なものはあったが意識としては全然なかった」