2年前に鹿児島県内最長の甑大橋が開通し、有人3島がつながった薩摩川内市の甑島ですが、人口は4000人を割り込み、新型コロナの影響も広がります。そんな中、島の魅力を伝えようと奮闘する、男性の姿を追いました。
(東シナ海の小さな島ブランド・代表 山下賢太さん)
「(自分も)いつか歳を取る、歩けなくなる、車に乗れなくなる。自宅から300〜400メートルぐらいの範囲の中に、その暮らしの豊かさがあったら良いな」「暮らせて良かった、死ねて良かった、最期を迎えられて良かった、と言えるような島であって欲しい」
甑島列島の上甑島・里地区。この地で生まれ育った山下賢太さん(36)です。中学卒業後、島を離れましたが13年前に戻り、古民家を改装した商店や、宿泊施設などを手掛ける会社「東シナ海の小さな島ブランド」を立ち上げ、スタッフ18人とともに島の魅力を発信し続けています。
山下さんが初期から手がける豆腐や、キビナゴやタカエビを使った「スペシャル断崖バーガー(セット1200円・税込)」はいまやの定番の味となっています。その後、おととし11月には長期滞在型のホテル「niclass」甑島を立ち上げ、去年5月には江戸時代末期ごろの古民家を改装した、パン屋で週末は食堂となる「オソノベーカリー」を開店しました。
(山下さん)「やっぱりやるしかない。言葉ではどうにでも言える。100点はないかもしれないが、そこに向かう大人がいるということはこの島の希望だと思う」
観光客は・・・。
(観光客)「古民家みたいできれい。すごく良い」「(山下さんのホテルに)泊めてもらったが、ご飯も地元のものを使われていてすごくおいしかった」
スタッフの一員でもあり、10年間ともに歩んできた妻の麻由さんは・・・
(妻・山下麻由さん)「大変ではないかと聞かれても、そう見えている部分もあるかもしれないが、楽しくやれているというか。やってよかったと思うことのほうが多い10年でした」
おととし8月、悲願の甑大橋開通で有人3島がつながった甑島。しかし地域振興の起爆剤となるはずが、新型コロナの感染拡大が直撃しました。
出口が見えない中、山下さんは・・・。
(山下さん)「(キビナゴは)刺し網漁法。季節で(網の)目合いのサイズを変えて、小さいものはすり抜けていく、大きいものだけを獲っていく。それをみんなで守りながら自然管理していく」
観光客が激減する中、SDGsなどをテーマに、修学旅行や企業の研修なども積極的に受け入れていました。
この日は滋賀県の高校生たちが、2泊3日で甑島に実地研修に訪れました。島の名産キビナゴ漁について学んだあと、実際にキビナゴをさばきます。
(高校生)「SDGsのハードルが高く感じたが、賢太さんの話を聞いて、身近にあるものからSDGsをこれから感じ取ろうと考えるようになった」
いま山下さんが取り組んでいるのが空き家問題です。島の人口は70年まえには2万4000人だったのが、いまや6分の1以下の3800人余り。
人口減少を受け、中心街でも空き家が増え、市は推計で900戸近く、10軒に1軒程度が空き家とみていますが、山下さんはさらに深刻と感じています。
(山下さん)「おそらく4〜5軒に1軒は空き家が多いのでは」
列島最南端の下甑島・手打地区です。山下さんはいま、上甑島を中心に10軒近くの空き家の管理を請け負い、再生できるものは再生し、人が住めるようにするなど、次の時代に残す取り組みを進めています。
(山下さん)「少なくとも僕らが手を加えなくては、間違いなく空き地・廃屋になってしまう。試されているような気がする」
中に入ると・・・。
(山下さん)「立派な、ここは160年ぐらい(の古民家)」
冠婚葬祭でも使われたとみられる、お椀などの什器が大切に残されていました。
(山下さん)「この家の歴史・土地の歴史・家族の歴史、そういったものに思いをはせながら、どういった再生の仕方があるのだろうかということを今考えている」
県の事業で委託を受け、山下さんは短期の移住体験の希望者を募り、来月2組が1週間、甑島で暮らします。
手立てを尽くし、よりよい島の日常を目指せないか?未来に思いをはせます。
(山下さん)「人が減りながらも、幸せだと思う人の割合が増えていくとか。まちづくりのあり方を右肩下がりだからこそチャレンジできる、もう一度作り直す時代が今来ているのだなということを感じている。ここに生まれて良かったな、と一人ひとりが思えるような社会を残して、つないでいきたい」