旧北海道拓殖銀行=拓銀の「最後の頭取」河谷禎昌さんが、12月13日に亡くなりました。
2024年、単独インタビューで明かした胸の内を振り返ります。 

2024年11月、札幌。 

河谷禎昌さん(2024年)
「(収監されて)いい機会だから(たばこ)やめればいいのに、いまさらやめたからって何年長生きできるとかって変わらない…」

「収監中の反動」と、大好きなタバコを片手にインタビューに応じる河谷禎昌さんです。

河谷禎昌さん(2024年)
「頭取になってから、調べてみて船底を見たら大穴あいてるんだよね。しまったと、だから女房に怒られたよ。頭取なんてやるんでない、こんな時期にね」

1957年に入行した河谷さんは、バブル崩壊後の94年、頭取に就任。

都市銀行で唯一、経営破たんした拓銀「最後の頭取」です。

金融自由化によって進む大企業の銀行離れ。

バブル期の拓銀は高級リゾートなどへの巨額投資を重ねます。
気付けば、不良債権は1兆円規模に膨らんでいました。

河谷禎昌さん(2024年)
「その時、大蔵省(現・財務省、金融庁)から言い渡されて、あす公表しますということで、自宅に帰らないで、記者なんかが来るとうるさいから、テレビ見てたの、ただぼーっと見てましたよ」

日本がサッカーワールドカップ初出場を決めた1997年11月。

テレビ番組「おはようクジラ」(1997年11月)
「ただいま入ったばかりのニュースです、経営難に直面していました拓銀、北海道拓殖銀行が自力での再建を断念」

拓銀の破綻をスクープしたのは「HBC」
「都市銀行は決して潰れるはずがない」という神話が崩壊した瞬間でした。

破綻発表会見・河谷禎昌頭取(1997年11月・肩書は当時)
「大変皆様におかれましては、ご迷惑おかけして大変申し訳ありません」

その後、国は、金融の安定化を名目に21の大手銀行に、総額1兆8000億円の公的資金を注入。

一方の河谷さんは刑事責任を問われ、特別背任の罪で2年6か月の実刑判決を受け、釧路刑務所に収監されました。

河谷禎昌さん(2017年)
「推測では、どこか血祭りにあげないとおさまりつかなかった。北海道にいて全国的に経済的な影響はない、格好の獲物だったのでは」

河谷禎昌さん(2024年)
「ハイカラになったな」

破たん後、北洋銀行へ譲渡された拓銀。
大通公園近くにそびえるビルに当時の面影はありません。

河谷禎昌さん(2024年)
「(拓銀破綻は)バブルの終わりのはじまり」

泡のように膨らみ弾けていったバブル経済。
河谷さんは、まさにバブル崩壊の生き証人でした。