■“最後の生き証人”が毎年東京へ 今年は…?

定期的に受けている経過観察のため、この日、病院に向かった菱谷さん。

医師
「そこまでひどく進行していなくて、薬で対応できている状態。にっちもさっちも行かなくなったらうちで入院してもらうしかないんですけれども、どうでしょうか」


3年前に「膀胱がん」が見つかりました。

菱谷良一さん(103)
「肉体的に痛いとかかゆいとかそういうのは何にもないの」

手術や治療は、希望していません。

以前と変わらず、元気そうに振る舞いますが、2025年11月で104歳を迎えます。

ともに苦しみを強いられた仲間のために、菱谷さんは毎年5月、東京での国会請願に行くことを使命としています。

ところが…。

菱谷良一さん(103)
「もう行かないよ俺。もう腰動かさん。いまになったら、何もかも面倒くさくなった。どうでもいいや」
「体力と気迫。これが無くなった」

何度ただしても、真剣に向き合わない国の姿勢に、もう請願には行かないと決めたのです。

菱谷良一さん(103)
「賠償金は出せないけれど、みんなで頭下げます…くらいでもいいんだよな。100年前にどれだけね…罪もないのにな」

菱谷さんが座るはずだった国会請願での座席は空席のまま、そこに用意されていました。


治安維持法犠牲者国会賠償要求同盟 田中幹夫 副会長
「いつもここには、昨年は102歳の菱谷良一さんが、お見えになりました。残念ながら今年はいけないということになりました」

戦後80年となり、戦争の証言者たちは少なくなる一方です。

菱谷良一さん(103)
「(車庫の中を)覗いてみるかな」

自由に絵を描くことすら許されなかった、あの時代。

菱谷さんは仕事を定年退職してから絵を描くことを再開し、車庫には自身の作品がずらりと並んでしました。

菱谷良一さん(103)
「これは歌志内の炭鉱」
「これはアメリカのコロラド。これジョン・ウェインだ、懐かしいな~」


「(これは)ばあさん。俺のテーブルの前にいるんだ」


菱谷さんがいま、世の中に望むこと。

菱谷良一さん(103)
「平和と自由で満ち足りた世界にしてほしい。これしかない」

同じ過ちを繰り返さないために、103歳の“生き証人”は、未来へつなぐ教訓を人生をかけて語り続けます。

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