「輪島に絶対帰ってくる」 迫られるそれぞれの選択

また、輪島市内ではこんな選択をした人も。

ことし創業80年の時計店を夫婦で営む、山下睦宏さん68歳と妻の久美子さん(62)です。

(妻・久美子さん)
「今まで娘の家で避難していたが、アパートが決まったので荷物を取りに来た」

店がある建物は「応急危険度判定」で赤い札が貼られました。

2階と3階が住居スペースですが、このまま暮らし続けることはできないと考え、1月5日までは避難所で生活。

6日以降は金沢市に住む娘夫婦の家に身を寄せ、これから金沢市が提供する市営住宅に住むことを決めたといいます。

(妻・久美子さん)
「(輪島を離れるのは)悲しいし、娘はよくしてくれているがしばらく金沢で頑張ると皆で言っているので、輪島に絶対帰ってくる」

こちらも、輪島に残り家族と避難所生活を続ける坂口政昭さん(61歳)です。伝統工芸の輪島塗の蒔絵師で自宅は柱や壁が大きく傾き、仕事は続けられなくなりました。危険度判定は赤札です。

(坂口政昭さん)
「2週間(避難所に)住んでかなり生活環境としては整ってきている」

輪島市は、現在被災地以外への「2次避難」を住民に進めていますが、坂口さんが輪島に残る背景には。

(坂口さん)
「これからの生活のことを立て直すことも含めて、自分はここにいた方が情報が入ってくる」

元日の地震で突然、平穏な生活を奪われた能登の皆さん。地元で復興を待ち続けるべきか。離れて暮らしを立て直す道か。それぞれ悩ましい選択を迫られています。