ラグビーの聖地、大阪府・東大阪市の「花園ラグビー場」。岐阜県立岐阜工業高等学校ラグビー部の監督・部長として、25年間指導した田中輝夫さん74歳。輝夫さんには人生の心残りは花園に行けなかったこと。そのラグビーにかけた思いは子から孫へと三代5人にわたってラグビーボールのように受け継がれ挑戦されてきました。いよいよ最後5人目の挑戦者が花園に挑みます。

「もう、僕しかいないので」家族の悲願を叶えたい

17年前、生まれた時からそばにはラグビーが大好きなおじいちゃん田中輝夫さんがいました。孫の田中莉輝くん、かけっこは負け知らず。「前へ、前へ」そう教わりながら成長しました。子から孫へ、ラグビーの聖地である大阪府・東大阪市の「花園ラグビー場」(以下、花園)を目指す思いを3世代で繋いできました。

(孫 三男・田中莉輝選手)
「(家族)全員(高校)3年生の時に花園に行けていない。もう僕しかいないので、ここで行かないとちょっと…」

田中莉輝選手は、岐阜県立岐阜工業等学校(以下、岐阜工業)ラグビー部一(いち)の俊足。「バックス」の要です。2022年の1月に行われた岐阜県の新人大会では、ライバル・関市立関商工高等学校(以下、関商工)に74対5で圧勝。この4年間、花園へは関商工が連続出場していますが、ことしこそは岐阜工業が…と、田中家の悲願達成へ期待が高まります。

9年間、毎朝5時にお弁当「花園に行って恩返しをしたい」

田中家にとって、勝っても負けてもことしが最後。スタンドから見守る母親の康子さんは毎朝5時からの弁当作り。長男・侑輝さんの時から、9年間、早起きを続けてきました。

(田中康子さん)
「練習試合を見に行ったり、そういうのがなくなるのは寂しいですけど、まぁでもやっと弁当作りも終わりかっていう、ちょっとほっとした部分」

(孫 三男・田中莉輝選手)
「毎日朝早くお弁当作ったり、洗濯とかもしてもらってたんで、そこに関しても感謝しかない。花園に行って恩返しっていうか、そういうのをしてあげたいです」

「なにが起こってもおかしくない」花園の呪い

2022年11月、準決勝の日。莉輝選手の背番号は「23」です。スタメンの背番号は15番まで。はずされていました。1年生の時からレギュラーだった莉輝選手にとっては初めてのスタメン落ち。実は前日の練習で、一生懸命さが足りないとして、監督の徳重正教諭に叱責されスタメンをはずされたのです。

試合が始まりました。岐阜工業はなかなかペースを掴めず、追いかける展開が続きます。すると、前半残り5分。試合の流れを変えるキーマンとして、莉輝選手の起用です。そして後半、莉輝選手はおよそ40メートルを独走、トライを決めました。48対19の大差で勝利。岐阜工業、決勝進出です!

一方、ライバル関商工の準決勝は、67対0と相手チームを圧倒。しかし、大会での下馬評は、岐阜工業が優位でした。

(祖父・田中輝夫さん)
「周りが岐阜工業は今年は間違いないぞって言った時は、みんなやられとるんですよ。僕のときもそうですし、(息子の)友洋のときもそうですし、(孫の)侑輝のときもそうですし、田中家の呪いだなこりゃ」

岐阜工業の因縁のライバル関商工、最後までなにが起こってもおかしくありません。