ことし3月、三重県亀山市の新名神高速道路で、大型トラックが渋滞の列に突っ込み、6人が死亡した事故。
松本幸司さん一家の遺族は、13秒もの間「ながらスマホ」をして事故を起こしたにもかかわらず、水谷水都代被告が、過失運転致死罪に問われている違和感を拭い去れません。
この記事は後編です。前編と中編は以下のリンクから読むことができます。
【前編】大阪のテーマパークへ向かう途中…突然命を奪われた仲の良い5人家族 遺族「いないことの辛さ受け止める日々」
【中編】遺品は焦げたスマホや服の一部 「あるべき最期じゃない」 遺族は5人の遺体とは会わない選択 “生きていた頃の記憶を残したい”

(幸司さんの姉)
「ながら」という言葉がこの事故には当てはまらないと私は思っていて、多分そこは髙峰さんのご遺族も同じなのではないかなという気もします。
「ながら」の一言で片付けられてしまう、含められてしまうような事故なのかどうか、もう一度考えていただきたい。その一言であれだけの人たちが亡くなって、大きな事故になって、火災が起きて、跡形もなくなるような事故を「ながら」の一言で終わらせるのは本当に適切なのかなと、と考えていただきたい。本当に言葉のチョイスとして合っているとは今は思っていません。











