起渡船場から木曽川を渡り岐阜へ

清須(きよす)市・西枇杷島町には、立派な石柱の“道標”が存在。「いろんな人がこの道標を頼りにしていた」と道マニア。さらに美濃路を辿ると、名鉄・丸ノ内駅の近くで、まっすぐだった美濃路が90度に折れ曲がっています。

「“まるのうち”は“お城の中”という意味。清洲城を中心に、ここまであった清洲の街を守るため、道をわざとクランクにしてある」と道マニア。

また、近くの「須ヶ口(すかぐち)」という地名は、かつて清洲城下の入り口だったことからその名が付けられたと言います。

木曽川のすぐ東に位置する愛知県一宮市起堤町(おこしつつみまち)の金刀比羅社(通称“こんぴらさん”)には、“起(おこし)渡船場跡”が存在。宿場「起宿(おこししゅく)」があり、渡船場があったと言います。

大名や旅人は木曽川を船で往来するところ、江戸の将軍が通行するときは船を約270艘並べ、その上に板を約3,000枚通して船橋が架けられました。

こうして美濃路は木曽川を渡り、岐阜・垂井へ。そして、中山道へと繋がります。

CBCテレビ「道との遭遇」2025年4月1日(火)午後11時56分放送より