琵琶湖から安定した水を供給 現在も1日約200万トンの水運ぶ
髙山さんは、京都を劇的に変えたと言われる“琵琶湖疏水”の暗渠道を巡りながら、街が繁栄した歴史の紐を解いていきます。

滋賀県大津市と京都を繋ぐ人工の水路“琵琶湖疏水”は明治14年、琵琶湖から水を引き入れるため北垣国道(きたがきくにみち)京都府知事によって計画されました。工事には京都府予算2年分、現在価値で約1兆円を費やし、作業員約400万人、約5年に及ぶ難工事の末、明治23年に完成。
第1疏水、第2疏水、疏水分線などから成る“琵琶湖疏水”は、季節や年によって水量が不安定だった京都に、琵琶湖から安定した水の供給に成功。今も1日約200万トンもの水が運ばれています。

そんな“琵琶湖疏水”を知る上で重要なポイントがあるという、京都市左京区の「南禅寺」へ。現れたのは、明治21年竣工の水路橋「水路閣」。「南禅寺」の境内には美しいアーチが目を引く「水路閣」があり、上部の水路を流れていく水を見ることができます。