今から100年以上前、明治時代に作られた、島根県松江市の地図。
そこには、現在の姿とは全く違うある事実が描かれていました。それは…


入江直樹 記者
「こちら以前の取材で見付けた明治時代の地図なんですが、一つ気が付いたことがあります。今いる天神橋から向こうへ、ずうっと山陰線が宍道湖の上を走っていたことになっているんです」

『松江市史』に付属の1911年(明治44年頃)の「宅地等級概況図」。
よく見ると、松江停車場、今の松江駅から西へたどって行くと、線路が宍道湖の上を走っているように描かれています。

天神橋から現在の袖師交差点の辺りまでおよそ400メートルに渡って宍道湖の上に線路があったことを表しています。

水の上に線路を造った例としては、今から150年前、日本初の鉄道が新橋ー横浜間を走った時に築かれた高輪築堤などが知られていますが、水の上を走る線路が山陰にもあったのでしょうか?

松江市の松江城・史料調査課を訪ねると、担当の稲田信さんが1枚の写真を見せてくれました。

見るからに古いその写真では、石造りの堤が真っ直ぐ水の上に造られていて、全体で数百メートルはあると思われます。
背後に、嫁ケ島も見えます。

別の写真では、堤の上にトロッコの車輪などが見え、建設工事中に撮影されたようです。
松江・宍道間の線路の開通は1909年(明治42年)ですから、その直前の時期なのでしょうか?

松江市松江城・史料調査課 稲田信 副主任行政専門員
「なるべく民家を避けて立ち退きとかですね、いろんな利権で難しいことを避けて線路を造ったということがあったんだろうと思います」

写真を見ると、陸側には民家が密集しています。
稲田さんによると、集落を避け、宍道湖上に線路を造る方が、費用の面でも建設期間を短縮する上でも有利との判断だったのだろうとのこと。

マッチ箱のような車両が連なる列車を撮った写真には「松江名所」とあり、正に、近代化の光景だったのでしょう。

稲田さんと天神橋へ向かい、写真がどこから撮影されたものか、確かめに行くことに…

稲田さん
「建物の高さが高くなって見えにくくなっておりますが、その奥の方にですね、円成寺山と呼ばれる山なんですが、山が見えます。丁度この辺りがこの写真が写った場所だと思いますね」
入江記者
「左側は全部宍道湖だったということになりますか」
稲田さん
「そうですね、この目の前の方はずっと宍道湖だったと思います」

山陰線の東側、横浜町にある小道が、かつて宍道湖の水際だったラインです。