1977年10月21日、鳥取県米子市の松本京子さんが北朝鮮に拉致されて、ちょうど45年を迎えました。
松本京子さんは、「編物教室に行く」と母親に言って出かけたまま消息を絶ち、政府が北朝鮮による拉致被害者と認定しています。
松本京子さんは当時29歳。
近所の人が、見知らぬ2人の男たちと話をしている京子さんを目撃し、男たちに「何してるんだ」と声をかけました。
すると一緒にいた男らは突然近所の人に殴りかかり、海岸線へと続く方向に逃走。京子さんがはいていたサンダルが片方だけ残されていました。
2日、米子市で開かれた、北朝鮮による拉致被害者の救出を訴える「国民のつどい」で、兄・孟さんは…
松本京子さんの兄・孟さん
「妹がいなくなって45年がたちました。今年は何か良いことがあるのではないかと誕生日のケーキをはずみました」
「国民のつどい」の前には、松野博一内閣官房長官が拉致現場を視察しました。
松野博一 内閣官房長官
「すべての拉致被害者の1日も早い帰国実現に向け、あらゆるチャンスを逃すことなく全力で行動していく決意であります」
米子市は、12月7日から拉致問題啓発のパネル展を予定しています。