九州から単身・鳥取県米子市に移り住んできた一人の男性、板井功太さん19歳。

山陰には縁もゆかりもない彼が米子にやってきたのは、和傘づくりを学ぶためでした。

手仕事の世界を志す青年を取材しました。

米子市淀江町にある「和傘伝承館」で作業に集中する一人の若者。
板井功太さん19歳です。

「淀江傘」の歴史は江戸時代後期に始まったとされています。
傘の材料となる竹が入手しやすく、製造中の傘を大量に干すことが出来る日野川沿いの砂地があったことなどから、大正時代には71軒の業者が年間17万本を生産する傘の街でした。