福島出身のなすびさん「困っている人がいたら…」
なすびさんといえば『進ぬ!電波少年』の“懸賞生活”ですが、この企画が放送されいてたのは1998年から1999年のおよそ1年3ヶ月間。いまや25年も前のことなのです。20代のアナウンサーや記者には、なすびさんと聞いてもわからなかったようです。
中継後、“あの人はなすびさんだ”と聞いた現場の佐藤アナウンサーと記者が改めて、なすびさんに取材しました。

なすびさんは福島県福島市出身で、“懸賞生活”のあとに起きた2011年の東日本大震災で、地元福島が被災したのをきっかけに、復興支援に取り組んでいます。
なすびさん「もう13年経ちますけど、東日本大震災で日本全国、世界中の方々からいろんな支援を受けたので、僕一人でできることではないですけど恩返しの気持ちも含めて、やはり困ったときはお互いさまというか、困っている人がいたら手を差し伸べたいなっていう思いが強いので」

東日本大震災後も、全国各地で災害が起こるたびに被災者支援のボランティアに出向いているといいます。
現場では“一般の人”として、あまりにも溶け込んでいたなすびさんに、店にいたほかの客は・・・
イベントに参加した客:「なすびさん来てるんですね、リアリー?え?なすびさんですか?後でサインもらおうかなと」

地震の苦しみや大変さを乗り越え、明るさを取り戻そうとしている氷見市。

民宿あおまさ女将 青木栄美子さん:「こうやってにぎやかにワイワイしてくれてる姿を見るとすごくうれしいですね。氷見の民宿はほとんどの皆さんがお客さんを待ち望んで元気に営業してますので、是非、氷見の美味しいお魚とか食材を食べに来てほしいなって思います」

なすびさんは、チャリティーイベントのあとも何かをしたいと考えているといいます。