兄・塁を追いかけた幼少期
髙橋には“原点”と呼ぶべき人がいる。髙橋:
お兄ちゃんに誘われて「藍、バレーをやるぞ!」って言われて、ここでずっとやっていました、二人で。やっぱ一番身近に(いて)、上手くなって力付いてっていうのが、もう兄の塁だったんで、自分もそれに向かってずっと追いかけていたのは間違いないので。(鉄棒を触りながら)ここですね。

髙橋:
(鉄棒をネットに見立てて)バ―ンって打つじゃないですか。跳ね返って(公園の横にある)家に入るんですよ。何回、ボールを取りに行ったか。
記者:
怒られなかった?
髙橋:
怒られるというか、住んでいる人も慣れて、(ボールを取りに)行かなくても気づいてボールを(公園に)降ろしてくれる。
公園で切磋琢磨していた兄の塁は今、国内リーグの強豪、サントリーサンバーズ(2021-2022Vリーグ優勝)に所属している。
兄の塁が当時の思い出を話してくれた。

今思えば「上手いな」って思います。その時はそれが当たり前だと思ってたんですけど、藍は身長が小さかったので藍が拾って自分が決めるとか。
小学生の頃、まだ背が低かった髙橋は、主にレシーバーを務めていた。正確なレシーブで、エースだった兄のスパイクにつなぐ。それがチームの必勝パターンだった。
共に描いた夢
やがて兄弟は、大きな夢を抱く。それは、小学校の卒業文集に鮮明につづられていた。『「ニッポンチャチャチャ、ニッポンチャチャチャ」目を開けると、東京オリンピック・バレーボールの会場にいる』
『全日本男子バレーボールチームに、ぼくと兄で、男子バレーに革命を起こしたいと思う』

「絶対に自分はバレーボール選手でオリンピック選手になります!」っていうのを毎回、言ってましたね。自分がそのために頑張らないといけないという、自分にプレッシャーというか。バレーを頑張ることにつながっていったんじゃないかと思います。
中学時代に身長が伸びた髙橋は、アタッカーとしての才能が開花。
京都・東山高校の3年時には、春高バレー(2020年)で優勝、全国制覇を達成した。そして日本体育大学に進むと、日本代表に選出された。
国際試合で結果を残し、日本の次世代エースと期待される存在になった髙橋。
その目覚ましい成長を見てきた、兄の想いとは。
兄・塁:
やっぱり「藍くんのお兄ちゃん」って言われるのがすごく増えてて、本当にそれはありがたいんですけど「藍」と「塁」は別だぞ、みたいな(笑)。自分が頑張らないとな、と凄く思っています。
弟の藍は、代表最年少(当時19歳)で東京オリンピックに出場。
大会中、兄は弟に(アドバイスの)メッセージを送っていた。

【以下、メッセージやりとり】
兄から髙橋へ
『おつかれさん!厚かましいけど、ストレートのブロックアウトを狙うのはどう?それ以上にブロック高すぎる?』
髙橋から兄へ
『かなり高い位置で打ってるんやけど、それ以上やからもっと右手狙うわ!』
兄から髙橋へ
『高さはバケモンやけど意外と単純に跳んでたりするから、ちょっとクロス向いてストレートで出せるんちゃうかなーって思って!参考までに』
髙橋から兄へ
『了解!サンキュー』
このやりとりの後、東京五輪での髙橋は、兄のアドバイス通り、ブロックアウトを連発した。
幼い頃から今まで、兄弟の絆と共に描いた夢は変わらない。
兄・塁:
藍は「全日本で待ってます!」と言ってくれているので兄弟で日の丸を背負ってコートに立つっていうのが一番、自分の大きな目標なので。
髙橋:
本当に塁(兄)がいなかったら自分はこう今、バレーボールでオリンピックに出るという道もなかったと思いますし、塁がずっと追いかけさせてくれたから、バレーボールプレーヤーとしての自分がいるんじゃないかなって思います。
(2022年5月22日 裸のアスリートより)