バレーボール男子日本代表の次世代エースと期待される髙橋藍(20)。29年ぶりにベスト8入りした昨年の東京五輪に、当時チーム最年少の19歳で代表入りした。世界トップ16が集うネーションズリーグでも石川祐希(26)、西田有志(22)らと奮闘。2年後のパリ五輪でのメダル獲得に向け始動した、髙橋の素顔に迫った。

兄・塁を追いかけた幼少期

髙橋には“原点”と呼ぶべき人がいる。

髙橋:
お兄ちゃんに誘われて「藍、バレーをやるぞ!」って言われて、ここでずっとやっていました、二人で。やっぱ一番身近に(いて)、上手くなって力付いてっていうのが、もう兄の塁だったんで、自分もそれに向かってずっと追いかけていたのは間違いないので。(鉄棒を触りながら)ここですね。

兄と練習に励んだ公園
2歳年上の兄、塁。小学生の頃、チームのエースだった兄と二人、公園で腕を磨いた。

髙橋:
(鉄棒をネットに見立てて)バ―ンって打つじゃないですか。跳ね返って(公園の横にある)家に入るんですよ。何回、ボールを取りに行ったか。

記者:
怒られなかった?

髙橋:
怒られるというか、住んでいる人も慣れて、(ボールを取りに)行かなくても気づいてボールを(公園に)降ろしてくれる。

公園で切磋琢磨していた兄の塁は今、国内リーグの強豪、サントリーサンバーズ(2021-2022Vリーグ優勝)に所属している。
兄の塁が当時の思い出を話してくれた。

髙橋藍の兄・塁
髙橋の兄・塁:
今思えば「上手いな」って思います。その時はそれが当たり前だと思ってたんですけど、藍は身長が小さかったので藍が拾って自分が決めるとか。

小学生の頃、まだ背が低かった髙橋は、主にレシーバーを務めていた。正確なレシーブで、エースだった兄のスパイクにつなぐ。それがチームの必勝パターンだった。

共に描いた夢

やがて兄弟は、大きな夢を抱く。それは、小学校の卒業文集に鮮明につづられていた。

『「ニッポンチャチャチャ、ニッポンチャチャチャ」目を開けると、東京オリンピック・バレーボールの会場にいる』

『全日本男子バレーボールチームに、ぼくと兄で、男子バレーに革命を起こしたいと思う』


卒業文集
髙橋:
「絶対に自分はバレーボール選手でオリンピック選手になります!」っていうのを毎回、言ってましたね。自分がそのために頑張らないといけないという、自分にプレッシャーというか。バレーを頑張ることにつながっていったんじゃないかと思います。

中学時代に身長が伸びた髙橋は、アタッカーとしての才能が開花。
京都・東山高校の3年時には、春高バレー(2020年)で優勝、全国制覇を達成した。そして日本体育大学に進むと、日本代表に選出された。

国際試合で結果を残し、日本の次世代エースと期待される存在になった髙橋。
その目覚ましい成長を見てきた、兄の想いとは。

兄・塁:
やっぱり「藍くんのお兄ちゃん」って言われるのがすごく増えてて、本当にそれはありがたいんですけど「藍」と「塁」は別だぞ、みたいな(笑)。自分が頑張らないとな、と凄く思っています。

弟の藍は、代表最年少(当時19歳)で東京オリンピックに出場。
大会中、兄は弟に(アドバイスの)メッセージを送っていた。

髙橋(左)と兄の塁(右)

【以下、メッセージやりとり】

兄から髙橋へ
『おつかれさん!厚かましいけど、ストレートのブロックアウトを狙うのはどう?それ以上にブロック高すぎる?』

髙橋から兄へ
『かなり高い位置で打ってるんやけど、それ以上やからもっと右手狙うわ!』


兄から髙橋へ
『高さはバケモンやけど意外と単純に跳んでたりするから、ちょっとクロス向いてストレートで出せるんちゃうかなーって思って!参考までに』


髙橋から兄へ
『了解!サンキュー』


このやりとりの後、東京五輪での髙橋は、兄のアドバイス通り、ブロックアウトを連発した。

幼い頃から今まで、兄弟の絆と共に描いた夢は変わらない。

兄・塁:
藍は「全日本で待ってます!」と言ってくれているので兄弟で日の丸を背負ってコートに立つっていうのが一番、自分の大きな目標なので。

髙橋:
本当に塁(兄)がいなかったら自分はこう今、バレーボールでオリンピックに出るという道もなかったと思いますし、塁がずっと追いかけさせてくれたから、バレーボールプレーヤーとしての自分がいるんじゃないかなって思います。

(2022年5月22日 裸のアスリートより)