北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんの母親である早紀江さんを支援する会に、同じ拉致被害者で2002年に帰国した曽我ひとみさんが参加しました。
そこで曽我さんは、北朝鮮でめぐみさんからもらった「赤いかばん」の思い出を明かしました。

23日に東京で開かれた集会で横田早紀江さん(87歳)は、改めて拉致問題の解決を訴えました。

【めぐみさんの母・早紀江さん】
「こんなことが放っておかれていいんだろうか?と思うんのです。泣いている場合じゃない。もう絶対に泣かない。闘う。っていう思い…」

佐渡市の拉致被害者・曽我ひとみさんも集会に参加しました。
北朝鮮で8か月ほどめぐみさんと一緒に生活していたことや、曽我さんが結婚するため、めぐみさんと離れて暮らすことになった際にめぐみさんからもらった、赤いかばんの思い出を明かしました。

【曽我ひとみさん】
「その時にめぐみさんが『このかばん使って』と私にくれました」

その赤いスポーツかばんは、めぐみさんが日本で早紀江さんと一緒に購入したもので、カバンの内側には日本語でめぐみさんの名前が書かれていたそうです。

早紀江さんも、この赤いかばんのことをよく覚えていました。
13歳だっためぐみさんは、その赤いかばんと一緒に北朝鮮に拉致されたのです。

【横田早紀江さん】
「スポーツバッグがいるので、買い物に行くから一緒に見てって…」
「中学生になったんだから、茶色っぽい感じの、大人っぽい感じの色の方がいいじゃないのって私が言ってたんですけど、やっぱり交通事故とかね、最終的には事故に遭った時に、赤い方がパッと目立つから…」

自由な行動が制限されていた北朝鮮で、曽我さんはそのかばんを持ち続けました。

【曽我ひとみさん】
「偶然でもこのかばんをめぐみさんが見てくれたら『あっ、私のかばん、大切に使ってくれているんだな』ときっと思うと思うので、いつも店に買い物に行くときには、必ず赤いかばんを持って、買い物に行っていました」
「このかばんを見たら『私だよってわかってね』という気持ちでいつも持って歩いていました」

またいつかめぐみさんに会えるのではないかー。
そんな希望を抱き、目立つ赤いかばんを持ち続けていたのです。

【曽我ひとみさん】
「前に見えるものは何もありません、家族の気持ちを自分のこととして、もう一度皆さんにも考えていただきたいと思っています」