戦前、フィリピンに移り住んだ多くの日本人が、現地の人と家庭を持ったものの、戦争で引き裂かれ、子どもが無国籍のまま取り残された「残留日本人」の問題。
当時の子どもたちは、戦後78年が経った今も、「残留日本人2世」として無国籍のまま生きることを強いられています。
この問題で来月、沖縄にルーツがあるとみられる残留日本人2世の男性が、フィリピンから沖縄を訪問します。男性の父親が誰なのか判明するのでしょうか。
フィリピンの残留日本人2世 現地で苦難の道のり
今月4日、うるま市平安座地区の公民館では、地域に残る資料を持ち寄って、ある残留日本人2世の調査が行われていました。

アカヒチ・サムエルさん。1942年、フィリピンで日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれましたが、生まれて間もなく父はフィリピンゲリラによって殺害されました。
戦前、フィリピンで暮らしていた日本人は多い時で3万人にのぼり、その半数以上が沖縄出身者だったと言われています。

戦争により日本人の父親を失った「残留日本人2世」たちは、当時のフィリピンでは父親の国籍に属すると定められていたため「無国籍」として生きることに。“棄民”とも呼ばれ、苦難の道のりを歩みました。
現在81歳となった残留日本人2世のサムエルさんは、日本国籍の回復と親族との対面を切望しています。

残留日本人2世を支援するPNLSCの調べで、サムエルさんのアカヒチという苗字は平安座地区に多い「赤比地」である可能性が高いことが分かりました。