日本選手権3位以内の選手が、新たに世界陸上オレゴン(日本時間の7月16日開幕)参加標準記録を突破すれば代表に内定する。その基準を日本選手権男子100m2位の坂井隆一郎(24、大阪ガス)がクリアした。参加標準記録(男子100mは10秒05)適用期間最終日の6月26日に行われた布勢スプリント(鳥取市布勢運動公園陸上競技場)で10秒02(+1.1)をマーク。今季日本最高記録で、日本選手権優勝のサニブラウン・アブデル・ハキーム(23、タンブルウィードTC)に続き、この種目2人目の代表入りを決めた。以前からの武器であったスタートダッシュに加え、中盤以降のスピード維持能力が向上したことが標準記録突破につながった。

好記録が出る布勢で今年は坂井が大幅自己新


昨年、山縣亮太(30、セイコー)が9秒95の日本記録を樹立した布勢スプリントで、今年も期待に違わず好タイムが誕生した。坂井が10秒02(+1.1)の日本歴代7位タイを予選でマーク(決勝は棄権)。布勢総合運動公園陸上競技場11回目の10秒10未満で、大阪長居陸上競技場と並んで国内最多回数となった。

坂井も記録を出すために布勢に乗り込んできた。

「布勢スプリントはタイムが出て、良い風も吹くと知っていたので、予選から10秒05を狙っていこうと意気込んでいました。決勝になると少し考えすぎて、力むかもしれない。予選から10秒05を切れて本当によかったです」

坂井は日本選手権では2位。着順も自己最高なら、10秒10(+1.1)のタイムも自己新。自身最高のパフォーマンスを発揮した。

「日本選手権からコンディション落とさず来られましたし、日本選手権を走っているときのような感覚で走ることできたんです。風さえ吹いてくれたらタイムは出るんじゃないかな、という感じで走りました。ただ、10秒05を切っているかどうか、まではわかりませんでしたね。スピード感も別にベスト出ている感じでなく、いつも通りで走った感じです」

日本選手権も布勢スプリントも同じ追い風1.1mだったが、記録は0.08秒速い。その要因を簡単に特定することはできない。記録に影響することは間違いない、と言われている気圧だったかもしれない。坂井が決勝よりも予選の方が力まずに走ることができると話したように、メンタル面だったかもしれない。

そういった違いがある中でも、走り自体は“日本選手権と同じ感覚”で坂井は走ることができた。同じ感覚で走ること自体、簡単なことではない。良いときの走りの再現ができれば、ちょっとしたプラスが記録に反映される。

大会自体の雰囲気も、代表がかかっているとはいえ、選手に緊張感を与えない大会である。

「日本選手権は代表の権利もかかる日本で一番大きい試合。プレッシャーや緊張も大きかったのですが、今回に関してはタイムだけを狙っていたので、その分、緊張感が小さく楽に走れたというか、自分の走りをより意識してできたので、そこが違いました」

坂井自身が同じ感覚の走りを再現できたことが、プラスの環境・要素を生かした走りにつながった。

動きづくりは1日2時間以上


坂井の特長はスタートダッシュの速さにある。そこを武器に19年の日本学生個人選手権に優勝し、その大会の準決勝では10秒12(+1.0)を出した。学生トップレベルのスプリンターだった。

今年の日本選手権のデータが日本陸連から公表されたが、坂井の10m通過は1.80秒で、サニブラウンを0.10秒リードした。世界でスタートが最も速い選手の1人であるクリスチャン・コールマン(米国・26)が、19年の世界陸上ドーハで優勝した時は1.81秒だった。
しかし、スタートが速いのは以前から。今季の好成績は、後半のスピードダウンを小さくすることに成功しているからだ。

坂井自身は今季躍進できた理由を以下のように自己分析した。

「肉体強化をしたおかげで、すべてのレースでやりたい動きがコンスタントにできるようになりました。ウエイトトレーニングは全身を、春先までやっていました。昨年の夏は週1回で3セットでしたが、冬は週2回で5セットにするなど、やる頻度を増やしました。去年の体重が確か61㎏、今が64㎏で3kgアップしています。レース後半も、上半身でもっていけるようになり、減速が小さくなりました。自分がやりたい腕振りと脚の軌道が、筋肉がつくことで楽にできるようになった。ウエイトもなるべく速い動きを意識して行いました。走りにつながるような、なるべく速い動きで終わる筋トレをしていたことが、スムーズに走りに落とし込めたのだと思います」

小坂田淳監督(04年アテネ五輪4×400mリレー4位入賞)も「一番伸びたのは後半の維持」と言い、その要因に「圧倒的な練習量」を挙げる。

「秋から春先までの練習で毎回、神経系の刺激を2~3時間やります。彼独自の動きづくりピッチ版、みたいなものです。それを坂井は学生時代から続けていて、初めて見たとき真似してみたのですが、これを毎日やるのか、という感想を持ちました。その動きづくりをしてから走る練習をして、ウエイトをするので、練習量がものすごく豊富になるんです。その結果、今年の後半の走りが変わりました」

大学時代から継続してやり続けている動きづくりと、この1年間で充実し始めたウエイトトレーニング。この2つが坂井の今季の快進撃を実現させた。

世界陸上でも布勢スプリントと同じ動きを


入社2年目で世界リレー選手権シレジア大会に出場したが、今年の世界陸上オレゴンが、初の個人種目での世界大会出場になる。

「自分の走りがどこまで通用するかわかりませんが、この流れのまま、良い状態で世界陸上を迎えて、世界の強豪と戦いたいです。10秒05を切ったので、世界陸上は9秒台を目指し、準決勝、決勝とできるだけ多くのラウンドを走れるように頑張りたい」

昨年の東京五輪に限らず、日本の短距離選手が個人で結果を出すのは簡単なことではない。特に100mでは近年、本番で自己(タイ)記録を出したのは17年世界陸上のサニブラウンと、12年ロンドン五輪&16年リオ五輪の山縣亮太(セイコー・30)しかいない。

その山縣が国際大会で国内大会と同じ記録を出せる理由として、その時点の課題を1つか2つだけ意識し、そこに集中する方法を以前話していた。

坂井にもその期待ができる。

小坂田監督は「今年の坂井は並ばれてからも硬くならなくなった」という。「0mから100mまで動きが変わっていないはずです。動きづくりを毎日、継続しているからできることです。そして一番すごいのは、どんな大会でも動きが変わらないこと。世界大会で強豪選手に囲まれても、あの動きがどこまでできるか」

小坂田監督は「できるか」と疑問形で話したが、これは「坂井ならできる」という期待の表れだ。

山縣が9秒95の日本新を出した翌年の布勢スプリントで、東京五輪後の日本人最高をマークした坂井。世界陸上が行われるオレゴンのヘイワード・フィールドは、記録が出やすい競技場として知られている。布勢スプリントと同じ動きができれば、さらなる記録向上が期待できる。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)