2004年10月に新潟県中越地域を襲った地震からまもなく19年となります。震災後から棚田を守るため続けてきた棚田オーナーたちによるコメ作りですが、今年も大勢の人たちが稲刈りに訪れ、普段は静かな集落に笑い声が響きました。

新潟県長岡市の木沢集落は美しい棚田と養鯉業が盛んな山間の集落です。
2004年10月の新潟県中越地震では震源地となり大きな被害を受けました。
このあたりの集落は震災後、過疎が急速に進みました。コメの作り手も減ってきたため棚田を守るため、栃木のグループや友好都市の東京都狛江市の市民などを中心に棚田のオーナーとなりコメ作りに参加しています。

この秋も、県内外から3日間で約60人が稲刈りに訪れました。
この中には中国南方航空の新潟支店長の小笠原千鶴支店長と羽田の中国人スタッフも参加しました。小笠原支店長は5年前、中国からの利用者を増やすため、棚田での農業体験を旅行商品にできないかなどを旅行業者に提案し、木沢集落との交流が始まりましたが、その後、ウイルス禍で新潟空港発着の新潟―ハルビン線が運休し、旅行企画もストップしました。

こうした中でも小笠原支店長は田植えや稲刈りに参加し木沢集落との交流を続けてきました。
ようやくウイルス禍も落ち着き、制限なく国内外が行き来できるようになり、この秋、中国人の同僚が初めて稲刈りに参加しました。
手で刈る稲刈りは初めてのスタッフもいましたが、鎌さばきもどんどん上達していました。
稲刈り後は地元でとれた野菜のてんぷらと手打ちそばに舌鼓。南方航空でも輸送
を担っている錦鯉の養鯉ハウスの見学もし、山間の地を満喫した1日となりました。

羽田支店長の于海洋さんは「棚田は初めて。山の土地を活かしてすごいことだ。中国人とか日本人とか関係なく、若い人はこうしたコメ作りの苦労をしらないから体験したらいい。」と話していました。
ただ現在、中国人観光客は処理水問題等で日本を避ける傾向があり、日本へのインバウンド回復を見通せない状況だということです。
一方で、木沢棚田保全協議会の代表を務める平澤勝幸さんは、湯沢などの他エ
リアと連携することでインバウンドの可能性はあるのではないかと期待しています。
中越地震発災から来年で20年。復興の中でつないだ様々なネットワークで新しい企画が誕生するかもしれません。