歴代市長から思いを受け継いできた“平和宣言” 被爆二世として世界に発信

娘を探し、原子野をさまよった田川元市長は“紋付き袴”、夫婦で平和祈念式典に参列していました。

田川 務 元市長:(1966年の平和祈念式典)
「平和宣言。身を持ってその恐怖・悲惨さを体験した我ら長崎市民は、世界の恒久平和を念願し、常にその実現を訴え続けてきた」

止まらない核兵器の開発競争。二度と使ってはならないと訴えてきた被爆者の平均年齢は85歳を超えました。

鈴木 史朗市長:(恵の丘長崎原爆ホームで入所者に)
「両親の顔と、そのまま重なり合って見えます」

7万4千人の犠牲者と、紙一重の差でつながれた命。
私たち一人一人に核なき世界を実現する願いは託されます。

鈴木 史朗市長:
「歴代市長がずっと受け継いできた“平和宣言”。私も被爆二世として、その思いを引き継ぎながら頑張っていきたいと思っております」

母・智子さんが90歳を迎える8月9日、鈴木市長は被爆二世の市長として世界に“平和宣言”を発信します。