豪雨による土砂崩れで60人が亡くなった繁藤災害から、5日で51年です。現地では、慰霊祭が開かれ、遺族らが犠牲者の冥福を祈りました。

昭和47年7月5日の午前10時55分、高知県香美市土佐山田町繁藤では集中豪雨により10万立方メートルにも及ぶ大量の土砂が崩れました。別の団員の救助活動にあたっていた消防団員や住民が巻き込まれ、60人の尊い命が失われました。


慰霊祭は災害が起きた7月5日に毎年、執り行われていて、今年も、遺族や地元の消防団員らが玉ぐしをささげ、犠牲になった人たちの冥福を祈りました。
(遺族)
「ある程度備えても、災害はその上その上を超えてくると思う。自分も対策をしていかないとと思う」
「子どもに(繁藤災害について)伝えていって、若い子が来てなかったので自分らが会長とともに協力して伝えていく」
(繁藤災害遺族会 佐藤栄治 会長)
「7月5日は慰霊祭を通じて、繁藤災害がいかに大きな悲惨な災害であったか二次災害でたくさんの方が亡くなられたということを強く伝えていただいて、自分の命、自分の家族の命を守ることをもっと大切にしてもらいたい」
多くの犠牲者を出した繁藤災害から51年。香美市の依光晃一郎市長は、「ゲリラ豪雨などの想定外な異常気象が身近なところで多発している」と述べ、「この災害を教訓に防災への認識を深め、備えを進める」と話していました。