女優・奈良岡朋子さんが、3月23日(木)22時50分、肺炎のため東京都内の病院で亡くなっていたことが所属事務所公式サイトで公表されました。93歳でした。
葬儀は近親者のみで3月26日(日)に執り行われ、故人の遺志により、お別れの会等は行われないということです。

また、あわせて奈良岡さんの生前のコメントも所属事務所から公表されました。奈良岡さんは「新たな旅が始まりました。旅好きの私のことです、未知の世界への旅立ちは何やら心が弾みます。」「これが別れではないですよ。いつかはまたお会いできますからね。それでは一足お先に失礼します。皆さまはどうぞごゆっくり...」と、その思いを所属事務所を通じて明かしています。

奈良岡朋子さん




奈良岡さんはテレビドラマ「太陽にほえろ!PART2」や「おしん」(ナレーション)大河ドラマ『いのち』(ナレーション)に出演。
映画『どですかでん』 では毎日映画コンクール女優助演賞受賞、『はなれ瞽女おりん』では 第1回アカデミー賞優秀助演女優賞受賞、『釣りバカ日誌』や『鉄道員』・『半落ち』などに出演し活躍しました。

奈良岡朋子さん



【 奈良岡朋子さん 生前のコメント】

新たな旅が始まりました。旅好きの私のことです、未知の世界への旅立ちは何やら心が弾みます。
向こうへ着いたらすぐに宇野さんを訪ねます。もう一度あの厳しい演出を受けたいと⻑い間願ってきました。でもね、宇野さん、私はあなたよりずっと⻑く生きて経験を積んできましたからね、昔のデコじゃないですよ。「デコ、お前ちっとましになったな」と言われたくてこれまで頑張ってきたんですから。腕が鳴ります。杉村先生とももう一度同じ舞台を踏みたかった。どんな役でもいいからご一緒したい。ワクワクします。
両親に挨拶するのは二、三本舞台をやって少し落ち着いてからにします。それからは裕ちゃんや和枝さんと思いっきり遊びます。
これが別れではないですよ。いつかはまたお会いできますからね。
それでは一足お先に失礼します。皆さまはどうぞごゆっくり...

奈良岡朋子

(註)宇野さん:宇野重吉、デコ:奈良岡の愛称、杉村先生:文学座の杉村春子さん、
裕ちゃん:石原裕次郎さん、和枝さん:美空ひばりさん


【 所属事務所公式サイトより引用 】

劇団民藝代表の俳優・奈良岡朋子(ならおか・ともこ、本名同じ)が、去る3月23日(木)22時50分、肺炎のため東京都内の病院で逝去いたしました。93歳でした。
生前のご厚誼を深謝し、謹んでお知らせ致します。
葬儀は近親者のみで3月26日(日)に執り行いました。喪主は姪(実兄の長女)で劇団民藝演出家の丹野郁弓(たんの・いくみ)。
誠に勝手ながら、御香典、御供花の儀は辞退申し上げます。
また、故人の遺志によりお別れの会等はおこないません。


また、奈良岡さんの姪で、劇団民芸演出家の丹野郁弓さんもコメントを公表しました。

【 丹野郁弓さん コメント 】

私が死んでも絶対葬式はやるな、これは私の遺言だ、と奈良岡朋子は常々言っていた。その口調は宣言にも似て強かった。だからこんな形でしかご報告できないことをどうぞお許しください。
白いタンスの上に彼女は小さな祭壇めいたものを作っていた。両親の写真に並べて、杉村春子さんの扮装写真、石原裕次郎さんのプライベートスナップ、美空ひばりさんの楽屋の写真が飾ってある。宇野重吉先生の写真は、無い。滝沢修先生から頂いたという綺麗なグラスに水が入っている。たまたま起きぬけの彼女を見たことがあった。彼女はグラスの水を替え祭壇に手を合わせた。唇がかすかに動いている。目を閉じた彼女の横顔が忘れられない。どうせ、もう少しだけ舞台をやらせてください、とでも祈っていたのだろう。
彼女の演技には客観性がある。戯曲の読み込みも深い。ダメ出しに応じてたちどころに一から十まで変えて見せる確かな技もあった。そしてここぞという一瞬にダイナミックに気持ちを籠める。冷静さと計算と感情を優れたバランスで持ち、表現できる稀有な女優だった。叔母を亡くした悲しみよりもあの演技を二度と見ることができない寂寥感の方が強く私を襲っている。
稀代の晴れ女でもあった。今日の劇場の搬入口は屋根が無いので奈良岡さんお願いしますね、
と言うと、任せときなさい、の一言で本当に雨が止む。止むどころか真夏にピーカンにされたこともあった。ところが亡くなった 3 月 23 日の夜は雨だった。小糠雨に打たれながら、ああ、もういいや、と奈良岡さん思ったな、と私は呟いた。
奈良岡朋子、享年九十三歳、満開の桜の下、ほぼ七十五年にも及ぶ舞台人生の幕がおりた。

丹野郁弓

【担当:芸能情報ステーション】