入学当初からコロナ禍にあった卒業生たち。嘉手納高校3年、岸良愛天音(きしら あてね)さんの高校生活もコロナ禍によって大きな影響を受けました。

岸良愛天音さん(小6当時)「アテネオリンピックの年に生まれて愛天音と名付けられた。将来の夢はオリンピックに出て優勝することです」

RBCが初めて彼女を紹介したのは小学6年生のとき。母の影響で3歳から柔道を始め、オリンピックの夢に向かい泣きながらも練習する、努力家でした。

でも高校で、岸良さんは柔道を辞めていましたー

岸良さん「記憶がないから周りが教えてくれたんですけど、いろんな人に迷惑かけたな、かけたというか、かけてしまった部分があったかなって」
母・綾乃さん「人が変わってしまって、眉毛も抜け落ちてなくなり、ごはんも食べられない、眠れない、吐いたり、ちょっと症状が出ていたので」

中学卒業後、柔道の強豪校に進学した岸良さんは寮生活で待っていたのは厳しい指導を受ける毎日でした。しかしコロナ禍で試合は中止が続いていきました。

岸良さん「目標がないのに何でこんなに頑張っているんだろうとか、そんな思っちゃって、ゴールの見えない、お先真っ暗な」
父・武徳さん「先生たちも迷走していたかもしれない、試合もない、いつ決まるかもわからない、だけど子どもたちはほっとけない、どこまでやっていいかわからない。みんな狂っていたかもね」

心身に異常をきたした岸良さんはパニック障害と診断されました。

母・綾乃さん「想像できなかったことが起きてしまって、私もどうしていいかわからなくて、きょうだいの中でも一番明るくて、人前にどんどん出ていくタイプだったので、まさかこの子がこんな風になるとは思ってもみなくて」

でもその後、様々な出会いが待っていました。
1年の秋に編入した嘉手納高校で始めたウエイトリフティング。

岸良さん「真理先生がウエイトに誘って、九州全国で活躍する選手にさせるからねと言ってくれて」

遠征先でパニック障害の発作が起きても仲間や恩師が支えてくれました。

母・綾乃さん「やっぱり発作が出て、でも近くに真理先生や仲間がいて背中をさすってくれたりとか何とかしながら、なんとか遠征先の鹿児島までたどり着いて」

そして去年3月、全国高校選抜で3位入賞を果たすと3年生からは写真部にも所属。ウエイトのインターハイと写真甲子園、2つの全国大会に挑みました。