急性心不全の為、亡くなっていたことが公表された、漫画家の松本零士さん(85)。多くの作品を生み出した松本さんの突然の訃報に、芸能界・漫画界などから追悼の声が続々寄せられました。

松本零士さんは「銀河鉄道999」・「男おいどん」・「宇宙戦艦ヤマト」・「宇宙海賊キャプテンハーロック」・「惑星ロボ ダンガードA」などがヒット作として知られています。

『銀河鉄道999』原作絵(C)松本零士/零時社



アニメ映画「銀河鉄道999」の主題歌「銀河鉄道999」を歌った、ゴダイゴのミッキー吉野さんはTBSの取材にコメントを寄せ松本さんを偲びました。
また、タケカワユキヒデさんは自身のブログに2ショット写真アップし、松本さんを追悼しました。

ミッキー吉野さん



【ミッキー吉野さん コメント】

「本当に残念です。
もっとお話を聞きたかった。
いつも面白いお話で、ステージなどでお会いする時にその話を聞くのが、本当に楽しみでした。
ご冥福を心よりお祈り致します。」

タケカワユキヒデさん 公式ブログより引用



【タケカワユキヒデさん 公式ブログより引用】

タケカワユキヒデさん




松本零士さん

 松本零士さんが亡くなった。信じられない。コロナもあって長い間お会いしていないので、現実という気がしない。残念だ。

 2000年にテレビの収録で松本さんのご自宅を訪ねた時と、2016年に山陽新幹線の発車ベルに銀河鉄道999が選ばれた時の記念式典でご一緒した時の写真を見つけた。

 これは、2000年にお会いした時に、僕が自分のファンクラブの会報に載せた文章だ。

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松本零士さんとお会いするのは、これで、10回目ぐらいになったでしょうか。会う度に、松本さんが、打ち解けてくださっているような気がします。お会いした時に、うれしそうな顔をしてくれるのが、僕にとっては、最高の御褒美です。

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 ご冥福をお祈りしたい。   タケカワユキヒデ

タケカワユキヒデさん 公式ブログより引用



テレビアニメ「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」「惑星ロボ ダンガードA」の主題歌を歌った、ささきいさおさんもTBSにコメントを寄せました。

ささきいさおさん




【 ささきいさお さん コメント】

果てしない夢をいだきながら、宇宙に旅立たれたことと思います。

ご存命中は、色々とご指導いただき、有難うございました。

これからも作品の心を大切に歌っていきます。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

ささきいさお



野沢雅子さん



アニメ「銀河鉄道999」で主人公の星野鉄郎役を演じた野沢雅子さんも追悼のコメントを発表。

【野沢雅子さんコメント】

松本先生とは銀河鉄道999の全国縦断イベントで本当にいろいろなところにご一緒させて頂きました。
気さくでお話が上手、山口では車掌さんの制服を着てとても喜んでいらっしゃったお姿を昨日のことのように思い出します。
劇場版を録る時にはスタジオにいらして下さって、いいですね〜と仰って下さるので私たちもとても演りやすくて・・優しい方でした。
お会いするといつも「そのうち999で何かやりましょうね」と仰られていて、またご一緒出来るのを楽しみにしていたのですが、叶わなくなってしまい寂しい気持ちでいっぱいです。
既に車掌さんが999号で待ってると思いますので、どうか一緒に楽しい旅を続けてください。』
野沢雅子

野沢雅子さん


同じく、「銀河鉄道999」でメーテル役を演じた、声優の池田昌子さんもTBSの取材に松本さんへの追悼のコメントを寄せました。

【 池田昌子さん コメント 】

あまりにも突然のことで何と言って良いものか・・・
言葉が出てまいりません。
松本先生には、ただただ感謝を申し上げるしかありません。
先生と一緒に旅ができたことは私の一生の宝物です。
出来ることならもう一度お会いしたかった・・・。

心よりお悔やみを申し上げます。

『銀河鉄道999』原作絵(C)松本零士/零時社




更に、「宇宙戦艦ヤマト」の実写映画版「SPACE BATTLESHIP ヤマト」で古代進役を演じた木村拓哉さんは自身のインスタグラムのストーリーで「松本零士さんのご冥福をお祈りします。沢山の夢と勇気をありがとうございました。」と追悼。

また漫画家のちばてつやさんも追悼のコメントを自身の公式サイトに寄せました。

ちばてつやさん




【ちばてつやさん コメント】

【親友 松本零士さんの訃報に接し】

 松本零士さんが高校を卒業して北九州の小倉から上京したばかりのツメエリ姿、当時19歳の彼と出会って60年以上が経ちました。
 ワシもデビューした翌年の18歳。
 同じマンガ家の卵、トシが近いせいもあって意気投合、本郷三丁目にあった西陽差し込む4畳半の彼の下宿にはよく遊びに行ったものです。
 二人ともまだ稼ぎも少なく満足に食べられなくてね。
 松本さんはよく「座布団のようなビフテキを食べたい!」なんて言いながらマンガを描いていました。
 二人そろって締め切りに追われ、同じ旅館にカンヅメにされて一緒に机を並べて仕事をしたものです。
 当時からワシは遅筆だったので、先に原稿を終わらせた彼に手伝ってもらうこともありました。
 忙しい盛りの40歳の頃に、一緒に世界旅行にも行きました。
 その時に訪れたアマゾン川やマチュピチュの遺跡などはいちばんの思い出です。
 海外で体調を崩し、中々調子が戻らないとは聞いていて、ずっと心配していたのですがまさか・・・言葉もありません。
 ここ数年、親しいマンガ家仲間が次々と旅立って淋しい思いをしていたのに、君も逝ってしまったのか。
 もう・・・体中の力が抜けていくよ。

ちばてつや

松本零士さん




【担当:芸能情報ステーション】