レーザーで鋼板を加工する機械が火花を散らす。ここで作られているのは「鋼材」。ビルや橋の骨組みとして、さまざまな形や特性に変えて広く使われる建設資材だ。

いわき市の建物づくりを支える総合建設資材商社、シオヤ産業。創業112年の歴史を持つこの企業は、地域のあらゆる建設資材をトータルで供給し、今日も現場を支え続けている。最近では、医療センターやイオン小浜、アクアマリンふくしまといった大型の建物に、鋼材やバルブなどを納入した実績を持つ。

その指揮を執るのが、4代目代表の小野行彦さんだ。彼は自社の業態を「とっても黒子的な、表に出ることは本当に少ない」と語る。シオヤ産業が扱う資材のほとんどは、建物の見えない部分に使われるものばかり。しかし、それらは決してなくてはならない存在だ。

漁業の町から工業都市へ。時代と共に進化を遂げた歩み

現在、建設資材の企業として知られるシオヤ産業だが、その始まりは異なっていた。会社の入口に残るその名残が、長い歴史を物語る。

創業は今から112年前の大正3年。小野さんの曾祖父にあたる朝吉さんが、船具店「塩屋商店」として事業を始めた。当時の小名浜には大きな漁港があり、塩屋商店は船で使う道具や網、操舵輪などを提供し、漁業の町を支えていた。

戦後、漁業需要の増加とともに小名浜港は発展。いわき名物の「さんまのみりん干し」が作られ始めたのもこの頃だという。

しかし、時代の流れは変化する。「二百回り問題」などで漁業の業態が変わり、船の数が少なくなると、物販を主としていた塩屋商店も厳しい状況に直面した。

この変化の中で、小名浜が工業都市へと成長していくのを見据え、昭和三十七年、シオヤ産業は鋼材、管材、プラント資材を扱う総合商社へと大きく転換。地域の産業の進化と共に、会社もまたその形を変えていったのだ。

4代目の挑戦と、震災を乗り越えた「不断革新」

4代目として事業を受け継いだ小野さんにはプレッシャーもあったが、初代から受け継がれるあるポリシーが彼の背中を押した。「前の代のやっていた事業をそのまま受け継ぐ必要性は一ミリもない」。その言葉を胸に、彼はただ事業を受け継ぐだけでなく、少しずつ変化を加えている。

これまでは資材を販売するだけだったが、今では鋼材の切断加工を手がけるなど、付加価値を付けた形でお客様に提供する工夫を凝らしている。

地域と共に順調に歩んできたシオヤ産業だが、東日本大震災はその歩みを止めざるを得ない出来事だった。震災時、小野さんは「安心して働ける会社なんだろうか」という疑問が強く湧いたという。

その問いへの答えとしてたどり着いたのが、「不断革新」、つまり革新することを止めない姿勢だった。会社が常に成長し続けることが、社員の「安心」につながると考えたのだ。

これからも地域と共に。100年、200年先を見据えて

震災から15年。小野さんは、地域で中小企業がしっかりしていることの重要性を感じている。「地方も全然捨てたもんじゃない」と目指していきたい、と力強く語る。

現在、シオヤ産業の強みは、工場、発電所から公共インフラ、商業施設、住宅設備まで、地域のあらゆる建物づくりに関わる総合力だ。時代の流れに合った会社づくりを心がけ、女性スタッフも多く活躍するなど、従業員が成長できる働きやすい環境づくりにも力を入れている。

スローガンは「いつの時代も地域とともに」

ゼネコンにいた経験を持つ小野さんは、その知識を活かして地域の人々の相談に乗り、恩返しをしていきたいと考えている。「百年、二百年、できれば千年。次にどんどん紡いでいかなくちゃいけない」。

目まぐるしく変化する時代の中で、どのような事業が地域の役に立つのか。社会課題と向き合いながら、シオヤ産業はこれからも地域と共に歩み続ける。

『ステップ』 
福島県内にて月~金曜日 夕方6時15分~放送中
(2026年9月3日放送回より)