戦争の記憶を未来につなぐ「ノー・ウォー・プロジェクト」「つなぐ、つながる」です。太平洋戦争中に日本の統治下にあった台湾には、日本軍が設けた捕虜収容所があり、4000人を超える外国人が収容されていました。あるカナダ人男性が今も伝え続ける戦争の記憶です。
台湾北部・金瓜石。日本が統治していた時代に、金の鉱山として栄えた町です。しかし、この地にはあまり語られることのなかった歴史が眠っています。
記者
「いまは緑が広がる静かな公園ですが、この場所にはかつて、日本軍が設けた捕虜収容所がありました」
いまは公園に整備されて建物は残っていませんが、当時の捕虜の姿を再現した像が静かにたたずんでいます。
カナダ出身の歴史研究家 マイケル・ハーストさん
「ここはアジアで最も過酷な捕虜収容所の一つでした」
カナダ出身の歴史研究家、マイケル・ハーストさん、78歳。台湾に移り住み、28年間にわたって、この場所で起きた真実を追究し続けています。
カナダ出身の歴史研究家 マイケル・ハーストさん
「捕虜たちは過酷な地下の鉱山で働かされました。中は40~50℃にもなる場所がある一方で、寒い場所もあり、肺炎やジフテリアで亡くなる人もいました。捕虜たちは病気や衰弱で働けなくなるまで働かされます」
マイケルさんの調査によると、戦時中、台湾には日本軍の捕虜収容所が14か所ありました。あわせて4366人ものイギリスやアメリカ、カナダなどの兵士が捕虜となり、およそ1割が虐待や栄養失調などで死亡したということです。
カナダ出身の歴史研究家 マイケル・ハーストさん
「鉱山で使われていたハンマーです。働きが足りないと判断されると、殴られたのです」
マイケルさんはこれまでに800人を超える元捕虜に話を聞き、当時の資料なども託されてきました。中には捕虜となったイギリス人が両親に宛てたハガキも。
息子から両親へ
「私は何とか無事に過ごしています。近いうちに帰ります。トムより」
日本軍が家族へ送る手紙などを検閲していたため、収容所での生活については触れられていません。母親も息子に返事を送りました。
母から息子へ
「再会できる日が1日ずつ近づいていることを願っています。あなたの帰りを待っています。愛をこめて。母より」
カナダ出身の歴史研究家 マイケル・ハーストさん
「これは慰霊の壁です」
マイケルさんが市に働きかけ、建てられた記念碑には、台湾で捕虜となった4000人を超える氏名が刻まれています。4年前には、その最後の1人が亡くなりました。
カナダ出身の歴史研究家 マイケル・ハーストさん
「捕虜たちは帰国後も自分の体験を口にしませんでした。家族でさえ知らなかったのです。だから、私たちが彼らの物語を世界に伝えたい。決して忘れ去られることがないようにしたいのです」
残された手紙や記念の碑が、長く語られることのなかった歴史を伝え続けています。
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