広島に投下された原子爆弾の記憶を語り続けている89歳の被爆者がいます。原動力は「“自分の声”で伝えたい」という思いです。

「あおむけになってうめいている人。『お母さん、お母さん、お母さん』泣き続ける子ども。むせかえるやけどのにおい」

広島市に住む八幡照子さん(89)。81年前のきょう、爆心地から2.5キロの自宅で被爆しました。当時8歳。被爆から3日後に学校で見た光景が目に焼き付いています。

八幡照子さん
「茶色い屋根?あれが己斐小学校」

広島のまちはいたるところで遺体を焼く煙が立ち上っていました。八幡さんが通っていた己斐国民学校でも校庭で2000体を超える遺体が火葬されました。

八幡照子さん
「真夏は、すぐ遺体が傷む。私たちの広い運動場は“火葬場”。吹き上がる煙は異臭でいっぱい。怖いとも、かわいそうとも、何の感情もなく、ただ眺めていた」

80歳を前に、世界をめぐる「被爆証言の旅」に参加したことで、自らの体験を語るようになりました。通訳を介さず、“自分の声”で届けたいと英語を学び始めました。

八幡照子さん
「残酷さ、悲しみ“自分の言葉”で」

英語は全くの初心者。原稿を講師に英訳してもらい、練習を重ねました。

八幡照子さん
「カフェで勉強すると一生懸命で声が漏れる。紙が飛んできて『Shut up(うるさい)』」
「顔は焼けただれ、目を開けることもできない」

いまでは、英語で語る数少ない証言者です。

自らの声を、「AI」で未来へ残す取り組みにも挑んでいます。去年、八幡さんは英語で被爆体験を収録しました。

八幡照子さん
「変だったらいくらでもやり直しますので」
「命ある限り、原爆の真実を世界に伝えたい」

収録した回答は広島市が本格運用を目指す「被爆証言応答装置」に活用されます。問いかけに対して、AIが、適切な回答を選び出します。

「八幡さんの思う平和とは?」
「世界のみんなが幸せに暮らすこと」

8歳の記憶を“自分の声”で伝えたい。八幡さんの思いが未来へとつながっていきます。

八幡照子さん
「あと10年は元気で伝えたい。核兵器のない時代を」