国が定める被爆地域の外で原爆にあった『被爆体験者』と呼ばれる人達が被爆者への認定を求めている裁判で、16日 原告4人に対する本人尋問が行われました。

16日、本人尋問が行われたのは原爆投下当時、長崎市の矢上・日見・古賀・深堀にいた4人で、爆心地から12キロ以内の場所ながら国の線引きによって被爆者と認められていない『被爆体験者』達です。

原告・旧矢上村で被爆 爆心から約8キロ 濵田 武男さん(83):
「15年あまり裁判戦ってきましたけど、大事な一日に頑張ってしたいと思います」

この裁判は最高裁での敗訴後に再提訴した『被爆体験者』44人が、長崎県と長崎市を相手に『被爆者健康手帳の交付』を求めているものです。

16日に行われた本人尋問で、当時7歳だった松田ムツエさんは「爆風と閃光のあと大雪の様に灰が降ってきたので手を広げて受けたりかき集めて遊んだ。
下痢や鼻血、歯ぐきからの出血の症状が出た」などと“当時の状況”を証言し「被爆者と認めて欲しい」と訴えました。

原告・松田ムツエさん(83):
「(灰が)燦燦と降ってくるから面白がって受け止めました。体験者でなく被爆者として認めてもらいたい」

原告団長・岩永千代子さん(86):
「これは原爆の病気やけんねって言って亡くなった人の思いが伝わりますか?と。真実と向き合って下さい」

次回弁論は5月の予定で原告が高齢化する中、結審の見通しはまだたっていません。