かつて高知県三原村で生産されていた「幻のたまご」が、復活の一歩を踏み出しました。野生動物や台風の被害によって、7年前に全てを失った養鶏家の藤田守(ふじたまもる)さん。再出発の地に選んだのは、村で最も人口が少ない限界集落の森でした。一人で森を切り開くこと7年、2026年5月ついにその場所に、鶏の鳴き声が響き始めました。「里を守る」という信念を胸に、前に進み続ける藤田さん、25年間の物語です。

三原村芳井地区。土佐清水市と接する山間にあり、人口はわずか15人。過疎高齢化が進む村の中でも、最も人口が少ない限界集落です。

5月19日、新緑に包まれた森の中で、1人の養鶏家が、鶏が到着するのを、今か今かと待っていました。

(藤田守さん)
「やっとやね。きょうもそんなに早く起きなくてもいいのに、ほとんど眠れてない」

藤田守さん、55歳。かつて、村の別の場所で大規模な農園を営んでいましたが、7年前に農園を失い、この地にやってきました。

藤田さんの人生、高知での一歩は今から25年前に遡ります。藤田さんは愛媛県出身。印刷会社で働いていましたが、2001年に高知に移住。翌年、三原村から借り上げた土地を一から開拓し、農園を開きました。

(藤田守さん:2008年)
「子どもを育てるにあたって、自然あふれる環境で育てたい、農業で生計を立てたいというのがあって、思い切って脱サラして始めた」

農園の名前は「しゅりの里自然農園」。「しゅり(守里)」には、地域に産業を作ることで「里を守りたい」という思いが込められていました。農園では、24時間放し飼いで鶏を飼育。その卵は、落ちても割れないほど殻が硬く、黄身は手でつかめるほど濃厚でした。

メディアで紹介されたことがきっかけで予約待ちの状況が続き、「幻のたまご」とも呼ばれました。事業は順調で、年商1億円も目前でしたが、2012年、経営を揺るがす出来事が藤田さんを襲います。

(藤田守さん:2024年)
「鶏が食べられて全滅してしまったのが、まず一つ目のきっかけ」

ハクビシンなどの野生動物が鶏を襲い、当時飼育していた6,000羽のうち、5,700羽が被害に。

さらに2014年には2度の大型台風が農園を直撃します。

(藤田守さん:2024年)
「屋根がことごとく吹き飛ばされてそれが決定打」

鶏舎は全壊し、2019年に経営は破綻。およそ5000万円の負債を抱え、農園は17年間の歴史に幕を降ろしました。

全てを失った藤田さんでしたが、もう一度養鶏をやりたいという情熱だけは消えていませんでした。以前の農園からほど近い芳井地区に移り住み、地主から無償で借り受けた耕作放棄地の森で再び開拓を始めます。開拓は2019年からスタート。

(藤田守さん:2024年)
「またこうやってゼロからチャレンジできるのが本当に嬉しい」

当時は日々の食事もままならない生活でしたが、体一つで過酷な開拓を続けた藤田さん。その必死な姿に、手を差し伸べてくれたのが、集落の人たちでした。

(藤田守さん:2026年)
「絶望と失望のどん底にあった自分を救ってくれたのはまぎれもなく芳井集落のみなさん。(近所の方が)『おかずを作り過ぎたから食べないか?』と。作り過ぎたんじゃない。私のためにわざわざ作ってくれた」

食事だけではありません。森の地主である松本さんは、藤田さんに車を2台提供し、農園の作業も進んで手伝ってくれました。

さらに、生活の糧を失った藤田さんに、地域の人たちは…

(藤田守さん:2024年)
「仕事もない、現金収入もない私に対して、仕事を分けてくれた。それによって現金収入を得られて、債務整理を無事終わらせることができた」

地域の人たちに支えられ、藤田さんは2023年に自己破産手続きを経て債務整理を終えます。

そして2年前の2024年、藤田さんは再起への決意を確かめるため、かつて農園があった場所を訪れました。農園最後の日、取り壊されていく鶏舎や自宅を目の当たりにしていた藤田さんは。

(藤田守さん:2024年)
「泣き叫んでましたよ。『やめてくれ!』と言って。今でも泣けるけど。『絶対復活さしたる』と思って」

農園の復活。それは自分のためだけではありませんでした。

(藤田守さん:2024年)
「恩返しできるとしたらこれ(養鶏)しかない」

ただ、農園復活のためには鶏の購入費や鶏舎の建築費など莫大な資金が必要です。2024年3月、藤田さんは、資金を集めるため、クラウドファンディングに踏み切ります。すると、わずか5日間で、目標の倍にあたる200万円を達成。中には、インターネットの使い方がわからないからと、直接現金を送ってくる人もいました。

同封されていた手紙には、こんな言葉が綴られていました。

突然にお手紙します。

私は週に3日のパートに出ておりますが、今月は1日分だけお給料が多かったのでその分を送らせていただきます。

我が家も決して豊かとは言えませんしぜいたくはできません。今月は食費を少しだけ節約してやりくりすればと思っています。

(藤田守さん:2024年)
「正直これを見て泣きました。早く復活したいなと思っています」

この日から2年。2026年4月、かつて荒れ果てていた森は見違えるようになっていました。完成した鶏舎には過去の教訓が生かされています。獣が地面を掘って侵入するのを防ぐため、地中にコンクリートを流し込んでいます。さらに…

(藤田守さん:2026年)
「(以前の農園は)台風で屋根が吹っ飛ばされて、終わったけど、(森は)天然の防風林があるので、鶏舎が壊れることはない」

そして5月19日、ついに、待ちに待った瞬間がやってきました。

購入した300羽の鶏が到着しました。

(藤田守さん:2026年)
「やっとたどり着いた。本当にこの長い間、支援してくれた方、皆さんに対して感謝の気持ちでいっぱい」

「かわいいね、やっぱり」

藤田さんを支え続けてきた地主の松本さんの姿もありました。

(森の地主 松本富美代さん)
「(卵の)発送のお手伝いができたら。(卵は)何して食べようかな。卵かけごはん」

新たな農園の名前は、「しゅりの森自然農園」にしました。地域に産業を作ることで過疎高齢化が進む里を守るという経営理念は何一つ変わっていません。

(藤田守さん:2026年)
「外貨を稼ぐために卵を販売していく。稼いだお金で雇用をつくっていく。もう一回、子どもたちがかけまわるような賑やかな集落に。人生かけて一生懸命、目標に向かってがんばっていきます」

卵は6月下旬から7月上旬に初出荷される予定で、首都圏の自然食品の店や、ネットショップで販売されます。

「里を守る」という信念を胸に、夢を追いかけ続けた25年。一度は絶望の淵に立ちましたが、地域の人々に支えられ、今、藤田さんは再びスタートラインに立ちました。藤田さんの物語はここからまた、動き出します。