「相撲は一番嫌いだった」注目の道産子力士、キニナル”経歴”は?
大学を卒業してからの1年間、嶺治さんは父・治(おさむ)さんの会社で働きながら、治さんが長年、指導する少年団のコーチを務めてきました。
ディレクター
「相撲始めたのは?」
白神嶺治さん(23)
「(少年団監督の)父親の影響なので、全然記憶がないというか気づいたらまわしを締めていました」
白神嶺治さん(23)
「嫌いでしたね相撲が、違う習い事もしていてスキーとか水泳とかいろいろやっていて、その中では一番嫌いでしたね」
それでも小6の頃には身長およそ170センチ、体重およそ100キロという恵まれた体格で全国大会にも何度も出場。その後は親元を離れ、中学・高校と石川県の強豪校に相撲留学します。
しかし東洋大学に進んでからは、けがが続き自身で満足な成績を修めることはできませんでした。
白神嶺治さん
「最初は大学3年夏に前十字靭帯を切って必死にリハビリしたんですけれど、思ったように戻らなくて最初は、相撲を取る側としてはもういいかなというのはあった」
大学卒業後は社会人として、土木現場で井戸掘りをするなど働いてきましたが、今年に入ってある思いに至ります。
白神嶺治さん
「直感というか、あとから後悔しても嫌だなと、最後に必死にやってきたことで一勝負してみようかなと」
社会人として1年過ごしてから23歳で入門というのは、兄弟子となる一山本関と全く同じ経歴になります。相撲の世界では遅めの入門となりますが…
白神嶺治さん
「小っちゃいころに道内の合宿で一緒に遊んでもらったりしていた、1年社会人をして、今の位置(番付で相撲を取っているのは目標ともなるしすごいリスペクトしている」














