Q小学校の頃はどんな子供でしたか?
父・恭悟さん「小さい時から食べる量はすごかった。年中のときにもうすでに大盛りラーメンとライスとかそんな感じで食べていた。一番びっくりするのは、足がどんどん大きくなった。6年生で28センチ、27.5とか28を履いてた」

所属していた少年野球チームでも「ひとり体つきが違った」という山浅選手。
小学校卒業後、家族で宮城県に引っ越した時のことを福子さんは、こう振り返ります。
母・福子さん「全く知らない土地なのに『僕ここ(東北楽天リトルシニア)で野球やりたい』って言ったことにまずびっくりして、さてどうすると家族会議になって、みんなで応援できる範囲で、応援できるんだったら龍之介の夢をみんなで協力して応援しようって、そんな気持ちで一緒に宮城に行った思いはあります。」

自営業を営む恭悟さんは、この時、秋田に残りましたが、週末は3時間かけて宮城に通っていたといいます。
父・恭悟さん「車の中で(宮城県に)行く時は今週はどんな練習してんだろうとか、試合があればどんな試合になるんだろうとか考えながらいって、それが楽しくて、大変だなと思ったのは一度もない」

2人は、「プロ野球選手になる」という息子の夢をともに追いかけてきました。
父・恭悟さん「サポートというよりもむしろこっちが元気もらってたんですよね。だから息子をサポートして頑張ってくれって送り出す感覚よりも、逆に私らがいろんなところに連れてってもらったって、そっちの思いの方がすごい強いので」
母・福子さん「楽しませてくれてありがとうだよね、ありがとうです」
