自衛隊が初の海外派遣を行った1991年、当時の駐米大使が海部総理に対し、湾岸戦争後の自衛隊派遣を強く要請していたことが外務省が公開した文書で明らかになりました。
外務省が公開した極秘公電では、1991年3月、湾岸戦争後の自衛隊の掃海艇派遣をめぐり、当時の村田駐米大使が「決断のタイミングは今からでも決して遅くはない」と主張し、海部総理に対して派遣を強く求めていたことがわかりました。
当時、日本は多国籍軍への財政支援のみ実施し、アメリカなどから批判を受けていて、村田大使は「掃海艇派遣は評価を挽回する絶好の機会」と訴えています。
海部内閣は、その後、調整を加速し、91年4月に掃海艇をペルシャ湾に派遣することを決定しました。
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