県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったその時、どんな思いや決意があったのでしょうか?今回のストーリーは青森県田子町出身のダンサー・斎藤貴美子さん。

現在はダンスー以外にも子供から大人まで体操を教えたり、アーティストやイベントなどで振り付けを指導している。
齋藤さんは3人の兄と大工の父の弟子たちがいる家庭環境だった子供時代、人の目を伺いながら過ごした。

斎藤貴美子さん「家庭環境的にも前に出るというのは大人だったりお兄ちゃんを見ながら周りを伺いながらいろいろ物事を選んで決めていたなっていうような感じ」

中学生になり、オリンピックで見た体操競技を見て一目ぼれ。自分もやりたいという気持ちになり、器械体操部へ。そこでダンスと出会う。

■人前で踊る楽しさ ダンスとの出会い


齋藤「スリラーとか流行ったんですけど、コーラスラインとかっていう映画が流行ってた。
当時で、そのときに映画の振り付けだったりとか、スリラーの振り付けだったりを教えてもらって、これがダンスなのねっていうことに気づいて。子供ながらにこの一番前で踊るっていうことの意味っていうのを自分なりに分析して、これは上手だからなのかなって思って。自分に向いてるかもしれないって何かわからないですけど思って」


しかし高校では親の意向に沿って、建築課で建築を学ぶ。部活は空手部で入賞するほどの成績を残した。

その後上京。建築の専門学校から工務店に入社。そんな中でもダンス教室に通うなど、
常にダンスの思いは消えなかった。

齋藤「何の保証もない世界に飛び込むっていうことになるので、親にはやっぱり心配をかけてしまいますよね。やっぱりダンスでしっかり飯を食うっていう姿を見せることがとりあえずできないとなって思ったところはあります」

ダンスの道で生きていくと決めた斎藤は頑張っている姿が認められ、繋がった縁でSMAPをはじめとする数々のアーティストのバックダンサーとして活躍。

齋藤「ダンスの先輩であったりだとか、一緒にSMAPのバックダンサーでステージに立った同期からのご縁で仕事がいただけたんですね」

さらに結婚という縁にも恵まれ、結婚生活を過ごした。しかし順風満帆に見えた20年の結婚生活は何の前触れもなく終わりを告げる。

■前触れなく終わった20年の結婚生活 別れと新たな気づき


齋藤「この人と一生を添い遂げるんだって私の中では決めていたし。お別れしましょうというふうに向こうから言われたので、その理由がわからずに結構、青天の霹靂ってね青森米でもありますけど…本当私には青天の霹靂でした。その経験が」

納得のいかない離婚。改めて自分や周りの人を見つめ直すパーソナルプロファイリングに出会った。

齋藤「あの昔は一切本を読むことなんてなかったんですけども。知れる喜びがすごく楽しくて。経験して成長して結果を出していくっていうようなのが私の軸なんですね」

チャリティーをはじめ、青森のイベントへの参加。ダンスで解放された自分自身の経験は
希望ある未来へと繋がっていく。

■in the future


齋藤「青森の伝統をはじめ、日本の素晴らしい伝統、日本全国の職人さん、伝統文化だったりとか芸術技をお伝えできる存在になれたらいいなと思っております」

齋藤「ダンスとは、自分を解放させてくれるもの、自分を表現させてくれるものです」