沖縄戦当時、金武町屋嘉に県内最大の捕虜収容所がありました。約1万人が収容されたこの場所で、捕虜となった人たちが戦争の嘆きを歌ったのが「屋嘉節」という沖縄民謡です。戦後80年の節目に、その屋嘉節を歌い継ぐことで平和の尊さを見つめ直そうという「屋嘉節大会」が、誕生の地・金武町で開かれました。



米軍が配給した缶詰の空き缶を胴にして作られた「カンカラ三線」。捕虜たちはその音色にのせ、戦争への嘆きを歌うことで、心を慰めていました。

先月、屋嘉節を次の世代につなげようと開かれた屋嘉節大会。「屋嘉節」のメロディーにあわせ、反戦や平和への思いを綴った自作の歌詞を、12人が披露しました。出場者最高齢の儀間憲徳さん(88)。

当時8歳だった儀間さんは、米軍に連れられ、金武町に行きました。屋嘉節を聞くと当時を思い出します。



▼儀間憲徳さん(88)
「戦争を心配して自分は戦争の事がわかるからこの唄(屋嘉節)を大切にしたいと思い参加しました」

♪戦場ぬ哀り 御万人ぬ肝に いちぬ世までいん 残ちいかな
(忘れてはならない戦争の苦しみや悲しみを人々の心に いつの世までも語り継いでいこう)

最年少は、うるま市出身の13歳、宜寿次采玖さん。曽祖母から聞いた戦争体験を歌詞にしました。



▼宜寿次采玖さん(13)
♪哀り戦世ぬ 祖父母ぬ思い 御万人とぅ共に平和なさな
(深く悲しい戦の世 祖父母のはかり知れぬ思い 沖縄・日本・世界中の皆さんと共に平和な世を築きましょう)

当時の状況に思いをはせ手作りのカンカラ三線を奏でる人や、母の形見の着物で登場する人も。工夫をこらし、それぞれの思いを歌いあげました。



グランプリに選ばれたのは、地元金武町から参加した玉寄信子さん。儀間さんには、審査員特別賞が贈られました。

▼儀間憲徳さん(88)
「この屋嘉節大会いつまでも忘れてはいけないと思い、申し込んで30年前の大会でも歌いました。今後も元気で頑張っていきますので、みなさんも元気で頑張ってください」
▼宜寿次采玖さん(13)
「戦争は良くないことだし、これからもやってはいけないものだから、私たちで歌と三線で平和にしていけたらと思います」

捕虜たちの記憶を歌い継いだ「屋嘉節」。世代を超えて響いた歌声には、戦争を忘れないという意志と、平和を願う希望が込められていました。

屋嘉節大会の模様はRBCiラジオ「民謡で今日拝なびら」の特別番組として放送されました。

9月6日(土)まではラジオ聴取サービス「radiko」でも聞くことができます。