雲仙・普賢岳の噴火災害が起きた当時の島原市長で、今月22日に94歳で亡くなった鐘ヶ江管一さんの告別式が島原市で行われました。

災害の終息を願いひげを伸ばし続け「ひげの市長」とも呼ばれた鐘ヶ江管一さん。

島原市の江東寺で行われた告別式には、遺族や島原市の関係者などおよそ200人が参列しました。

市長退任後も噴火災害の教訓を伝え続けた鐘ヶ江さん。参列者は別れを惜しむとともにその想いを受け継ぐ決意を新たにしていました。

雲仙岳災害記念館・杉本伸一館長「避難所にも自ら出向いて、ずっとみなさんどうもないかとかどうだという話をずっとされていたことが今でも思い浮かぶ。名誉館長の意思というか教えはちゃんと引き継いでいきますよとお参りをさせていただきました」

島原市古川隆三郎市長「国の法律を変えるようなことまでチャレンジしていかれた、大先輩である鐘ヶ江管一元市長の想いは今の私たちでは伺うことができないような本当に苦悩の連日であったんじゃないかと振り返っています」

島原市の復興を誰よりも願った「ひげの市長」最後は島原のまちを巡り多くの市民に見送られていました。














