【優しい父に初めて叱られたのは…】

当時10歳だった稲垣さんは、市中心部の愛宕町(あたごまち)に暮らしていました。

稲垣よし子さん:
「納屋の奥の方に防空壕が建っていた。その防空壕に私たちははじめ入っていた」


空襲警報で防空壕に避難しましたが、「ここは危ない」と再び外に出るとー。

稲垣よし子さん:
「火ばーっと。そこで燃え上がってるもんだから『こわーい』言うて」


恐怖で動けなくなった稲垣さんを父の内山甚兵衛さんが叱りつけます。稲垣さんの記憶では、優しい父が稲垣さんを叱ったのはこの時が初めてだったといいます。

父は、稲垣さんと妹と一緒に引きずるように神通川に向かいました。河川敷に逃げた3人は焼い弾の爆風で川の中へ。

稲垣さんと妹は見ず知らずの人に川から引き揚げられ、九死に一生を得ましたが、父は帰らぬ人となりました。

稲垣よし子さん:
「『こわい』ってしゃがんだ2、3分の遅れが父の死につながったんじゃないかっていうことも思ったりして。何か本当に生きるってことに自信をなくしてた」