帰国後の励みになり大切にしていたものの、失くなっていた18枚の手紙…。

河西さんは晩年、「何度も読み返したい」と話していましたが、見つかったのは亡くなってから間もなくのこと。
早川町の実家の蔵に眠っていました。

2025年8月13日の盆の入り、堀内さんは身延町の自宅で迎え火を焚いていました。

堀内美紀子さん:
「毎日きょうから全員の生徒の手紙が読めるように、時々こうやってめくってあげたいと思います」

生前叶わなかった思いをもう一度…

~生徒からの手紙~
『ひどい目にあっていた人たちもあったとの事、その気持ちは私たちに考えられぬ程の思いがします』
『終戦後四年間もほんとうに苦労に苦労を重ね、ご苦労様でした。一日も早く硯島へ帰ってください』