新潟県で2004年に発生した中越地震から21年。
地震の後、全村避難を余儀なくされ、仮設住宅などで暮らしていた旧山古志村(現在の長岡市山古志地域)で2004年度に生まれた子どもたちが『二十歳のつどい』に集まりました。
【小川優さん】
「家族や友人、恩師、そして地域の皆様に支えられ、多くの学びと経験を積み重ねてきたからこそ、今ここに立っています」

長岡市山古志地域で14日に開催された『二十歳のつどい』。
出席した3人はそれぞれに感謝と決意の言葉を口にしていました。

2004年10月23日の中越地震で当時の“山古志村”は甚大な被害を受け、全村避難を余儀なくされました。
14日に集った3人は、中越地震が起きた2004年度生まれ。
長岡市によりますと、他にも同級生はいましたが、地震などをきっかけに山古志を離れたため、今年の参加対象者は、小川優さん・西原ももこさん・樺沢あいらさんの3人だということです。
【西原ももこさん】
「山古志の人たちの温かさとかを感じてこれまで生きてきたので、その温かさとか人への優しさを忘れず、困っている人すぐ助けられるような優しい人になりたい」

出席者の一人、樺沢あいらさんです。地震発生のおよそ9時間後に生まれました。

当時、母親の裕美さんは中之島の実家に帰省していて、避難中に陣痛が始まり、長岡市内の病院で出産しました。

【母 裕実さん】
「分娩台の上でも余震が続いていて停電とかもしたんですけど、この子を生まなきゃいけないって気持ちでお産に向かっていたので、不安というよりはまずは産もうと、この子が出たかっているから早く会いたいなって気持ちでしたね」

樺沢さんの自宅は半壊し、一家は仮設住宅で暮らしました。
こちらは、1歳8か月の時のあいらさんです。

【母 裕美さん】
「早くみんなで帰れるといいんだけどね」
あいらさんは2歳まで仮設住宅で暮らしましたが、地震の記憶はほとんどありません。
【樺沢あいらさん】
「辛かった気持ちはまったくない。大変な地震があったことは知っているけど、それを感じさせないような育ち方ができたことはすごく幸せ」

【母 裕実さん】
「ある意味この子がいたから、すごくいろいろな方から声をかけていただいて、思い返しても人の温かさに触れられた避難生活だった」

あいらさんは現在、長岡市内の美容室で働いています。
【樺沢あいらさん】
「私たちも山古志離れたりしても、自分たちが元気に頑張っている姿を見せることが一番の恩返しだと思っているので、そういう姿を見せられるように成長していきたい」

15日は長岡市の5つの地域で二十歳のつどいが行われます。
