ジャッジは今季62本塁打を放ち、1961年にR.マリスが打ち立てたア・リーグ記録(61本塁打)を更新。本塁打、打点の二冠王を獲得し、打率でもリーグ2位の活躍を見せた。
そんなジャッジについてメジャー取材歴30年で、『AARON JUDGE(アーロン・ジャッジ)』の著者、D.フィッシャー記者に聞いた。
■高校時代から人並外れたパワーで注目
フィッシャー記者によると高校時代のジャッジは“二刀流”ならぬ“三刀流”だった。「バスケットボールやアメリカンフットボールもやっており、野球を含む3つのスポーツで成功を収めていた」という器用さに加え、パワーも「昔から桁違い」。「高校の時の打撃練習で彼が打ったボールは球場もバスケットコートも越えて校舎の屋根にぶつかったんだ」と衝撃のエピソードを明かす。なかでもアメフトの実力は、プロからも注目されるほどだったという。2016年、メジャーデビューとなった初打席は本塁打。ジャッジが初めて出場した2017年のオールスターゲームを観たフィッシャー記者はそのパワーに驚かされた。
舞台となったマーリンズパークは、“人間の力で、打球が天井に届かない”として、NASAにより計算され作られた高さ64mの球場。しかし、ホームラン競争で、ジャッジは初球をあっさり天井に直撃させた。
フィッシャー記者は「ジャッジの規格外のパワーはNASAの科学者の想像も超えたんだ。ジャッジの力は、NASAのもっとも優れた工学者や数学者でさえ困惑させられることを証明したんだ」と興奮気味に当時を振り返る。
ジャッジは初出場ながらこのホームラン競争で優勝している。
■ゴジラのアドバイスで覚醒
大谷の193cmを上回り、身長201cmと体格にも恵まれているジャッジ。打席に入る際に大切にしていることとして「僕には恵まれた体があるから、バットにしっかり当てることを意識している」と過去のインタビューで語っている。規格外のパワーで周囲を驚かせてきたジャッジだが、バッターとして覚醒したのは、ヤンキースで活躍し、現在はGM特別アドバイザー、“ゴジラ”の愛称で親しまれる松井秀喜氏の影響が大きい。
プロ2年目の2015年から3年間、ジャッジはマイナー時代に松井氏の指導を受けている。
「(松井氏から)多くのアドバイスを聞きました。まだ携帯電話にはメモを残しているよ。特に軸足を意識しろと言われました。頭と腰とヒザ、全てが一直線に並んだ方がいいと」。
メジャーリーグで10年間プレー(日米通算507本塁打)し、2009年には日本人初のワールドシリーズMVPを獲得したレジェンドのアドバイスを、30歳になった今でも大事にしているという。ジャッジは松井氏の金言もあってか、メジャー2年目に52本塁打を放ち、初の本塁打王を獲得している。
インタビュー(当時24歳)では次のようにも語っている。
「ヒデキに教えてもらったのは野球は失敗のスポーツだと(いうこと)。その日、4安打だろうが、ノーヒットであろうが、打席に立つときはチームの勝利を優先することが一番大切だよってね」。
フィッシャー記者も「ジャッジは指導を受けることに関して素直だし、他の成功した選手からもアドバイスも聞きたがる」。ケガをした際には同じくリハビリをしていたジーターを探し「トレーナー室で何時間も、何日間も話をした」と、ジャッジの貪欲な姿勢を評価している。
■大差でジャッジがMVPだった理由
全米野球記者協会(BBWAA)の各支部から選ばれた30人の記者の投票により選出されるMVP。1位投票は30票中28票がジャッジで、大谷が獲得したのはわずか2票とジャッジが大差で勝利した。フィッシャー記者はこの結果について「大谷はぶち抜けて私が見た中で一番の実績だ。賞が”ベスト・プレイヤー”、もしくは“最もアメージングなプレイヤー”という名前であれば、彼がプレーする年すべてその賞を受賞しただろう。しかし、賞は“もっとも価値のある選手”だ。ヤンキースは2022年、ジャッジ抜きではアメリカン・リーグ東地区を制覇できなかった。プレイオフに進出できたかも分からない」と説明する。
今季のメジャー全体のホームラン数は5215本と、ボールの変更などもあり、昨季から729本も減少。ジャッジの62本塁打について「その中での記録更新だからMVPの価値があるんだ」とフィッシャー記者は語った。