広島に原子爆弾が投下されてきょう(6日)で80年です。爆心地から約2キロの場所で被爆したものの助かった男性が香川県三木町にいます。96歳になった今も語り継いでいるのは、忘れえぬ記憶、そして平和への思いです。
疎開先の広島で 外が青白い光でいっぱいに
(長尾昭雄さん【画像①】)
「8月6日朝8時ごろ、アメリカのB29爆撃機が広島市内に飛んできたのでしょう。空襲警報が発令になりました。そのB29爆撃機が広島市に飛んできて、いったん広島市内を離れたんです。空襲警報が解除になりました。その空襲警報が解除になった直後」
(原爆投下)
「8時15分。原子爆弾が投下されたのであります」

生死をさまよったあの日の体験を語ります。96歳の長尾昭雄さんです。香川県三木町で生まれ育ちました。米作りはいまも現役。孫やひ孫たちのためにと、力が入ります。80年前の8月6日。広島の朝はよく晴れていました。
(長尾昭雄さん)
「外が青白い光でいっぱいになったんです。私はこれは何が起こったのか大変なことになったと思いました。その直後、ピカッと光ってドーンと校舎が倒壊したんです」

当時、長尾さんは呉の海軍工廠で働いていました【画像③】。しかし、戦況の悪化で、空襲を避けるために広島に疎開。爆心地から約2キロの工業学校で作業をしていたといいます。8月6日も講堂にいました。そして、原爆が落とされます。講堂は、爆風で押しつぶされました。

(長尾昭雄さん)
「中が真っ暗闇になったんです。校舎の片隅1か所だけ外の光が差し込んでおりました。私はその光を目指して無我夢中で時間がかかっては這い出したと思います。運動場の片隅に防空壕があったんです。私はその防空壕を目指して歩きだしたんです。そしたら、右胸、鎖骨の下側から血が吹き出したんです。その血を出ているところを左手で押さえた。そしたら左手の指先が持ち上がるんですよ。ピュッピュッと。手を離したら血が2メートル先まで飛びました」
