広島に原爆が投下されて80年。宮崎市で、原爆死没者の慰霊の集いがありました。また、被爆者の女性は、核の脅威が続く現代に平和への切実な願いを語りました。

県原爆死没者慰霊碑が建立されている宮崎市の宮崎霊園で行われた慰霊の集い。

被爆者の遺族のほか、宮崎南高校や宮崎大学附属中学校の生徒が参列し、広島に原爆が投下された午前8時15分に黙とうを捧げました。

(宮崎南高校の生徒)
「より深く自分で学んで、それを自分ごととして捉えて、周りに発信していくことが大切なんだと思った」

また、集いには、被爆2世の小島誠さんも参加。慰霊碑に花を捧げました。

(被爆2世 小島 誠 さん)
「81年後も、82年後も、90年後も、100年後も(平和を)つないでいってもらいたい」

一方、宮崎市の自宅で、広島での平和祈念式典の様子を見守ったのは、宮崎市に住む長沼京子さん、96歳。
16歳の時に、爆心地からわずか1.5キロの場所で被爆しました。

(長沼京子さん)
「地獄の底だった。ほんとにこれは、その時、その場にいたものしか言葉では言えないし、わからない」

そして、午前8時15分、長沼さんは広島の方角に向かって黙とうをささげました。

(長沼京子さん)
「その日のことがずっと浮かんでいて、これ一生消えないわ。一コマ、一コマがその日のことがこう見える。生きてる間は、私の心、目の前から消えない」

原爆により、多くの同級生を亡くした長沼さん。
5日夜は、同じ場所で被爆した人たちの手記を読むなどし、広島に思いをはせました。

(長沼京子さん)
「これは広島に(思いを)込めた鶴。きょうのために夕べ折った。これが飛んでいくのであったら、広島に私のあれを持っていってと言って、折りながら、時々友達の名前を言って、『誰さん、あんたとはこんなことがあったよね』と言って折ったり」

世界で争いが絶えず核兵器をめぐる国際情勢は厳しさを増す中、長沼さんの平和を願う気持ちはどんなに月日が経とうとも変わりません。

(長沼京子さん)
「核に対しては死んでも私の頭から離れないと思う。核はこれは人殺し。そして、地球を殺す。とにかく平和を維持することが一番大事。よその国の悪口を言うのではなく、その国のよさを見つけ出してそれをみんなに広げるそういった心の教育やろな」

長沼さんの思いは家族に受け継がれていて、21歳のお孫さんが去年初めて広島を訪問したそうです。
そして、長沼さんがあの日被爆した病院を訪れ、病院の方へ長沼さんの思いを伝えたそうです。

当時を知る人たちが少なくなっている中、戦争の記憶の継承が重要になっています。