長崎市の浦上天主堂でアメリカのカトリック信徒によって復元された新しい鐘の「祝福式」が17日行われ、再建以来空洞だった北側の鐘楼に鐘がおさめられました。

爆心地からおよそ500メートルの場所に建つ浦上天主堂。原爆の時、中にいた神父と信者は即死しました。
被爆80年の今年、原爆で大破し失われた「片方の鐘」がアメリカの信徒によって復元され17日、神の祝福を与える式がとり行われました。

聖人の名にちなみ名前は「希望の聖カテリの鐘」。復元を提案した浦上の信徒、森内浩二郎さんとその提案を受けたアメリカの信徒、ジェームズ・ノーラン・ジュニアさんが最初に鐘を鳴らしました。

ノーランさんの祖父は原爆を開発した「マンハッタン計画」に参加した医師で被爆後、長崎にも来ていて「想像を絶するほどの破壊だった」と語っていたそうです。
米国ウィリアムズ大学教授 ジェームズ・L・ノーラン・ジュニアさん:「600人以上の人々が寄付をしてくれました。そして、許しと和解への望みを表明しました。」
天主堂のもうひとつの鐘は被爆後、瓦礫の中から見つかり信者の手で掘り出されました。今も、南側の鐘楼で時を告げています。

浦上教会信徒 被爆二世 森内浩二郎さん:
「浦上の皆さんに聞いてもらおうと、イエス様の誕生を祝福しようとそういう思いで掘り上げて今までやってきている。これこそ本当に世界に平和を訴える唯一の鐘じゃないかな」
「感謝しかない。希望を感じてもらえれば素晴らしいことになると思う」

米国ウィリアムズ大学教授 ジェームズ・L・ノーラン・ジュニアさん:
「この鐘が団結の象徴となり、希望と平和を育む実を結ぶことを願っています。」

祝福をうけた鐘は17日午後、再建されて以来空洞だった北側の鐘楼に入りました。

原爆犠牲者への追悼と共に平和を願う希望の証として原爆が投下されて80年となる来月9日の午前11時2分、二つの鐘が打ち鳴らされることになっています。