
【所属事務所公式サイトより引用】
弊社所属タレント、酒井くにおが令和4年10月28日午前8:30
慢性虚血性心疾患の為永眠いたしました(享年75)
尚、葬儀につきましては故人の遺志により家族葬にて執り行われました
茲に生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます

【酒井とおるさん コメント】
この度、酒井くにおは寄席の舞台、そして人生の舞台からも幕を下ろしてしまいました。
10月28日早朝、横なって寝ているような姿でした。応援してくださった皆さん、松竹芸能の皆さん、関係者の皆さんにお世話になり、52年の芸人人生でした。
思い起こせば、コンビ結成当初はコントでも兄貴の口立てでネタ合わせ、台本無いの?で始まり、兄貴は物凄く前向きで決断も早く、東京、名古屋、大阪と活動の場を広げて行くのです。私は唯々ついて行くだけでした。会う人会う人と積極的に話し掛け、どんどん人の輪を広げてくれました。お陰様でいくつかの漫才の賞も頂けました。感謝の言葉しかありません。5年前、腰の手術をしてからは、年々、体が思うように動かず、悔しく、辛かったと思いますが、人前では、目一杯元気な姿を見せようとしてたね!ここ1年ほどは、正月番組まではガンバル!岩手での落語会まではガンバル!とおるの息子の結婚式まではガンバル!と言って頑張ってくれました。もう!頑張らなくて良いよ!!ゆっくり休んでください!今までありがとう!
酒井とおる。

【桂福團治さん コメント】
突然の訃報に驚いています。
独特のスタイルを作り上げ上方漫才に大きな貢献をされた方でした。
これからもますます活躍されると期待していましたので誠に残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
【横山ひろしさん コメント】
突然のことで信じられないです。
最近は劇場の出番が一緒にならなかったので心配しておりました。
ゆっくり話をしたいね!落ち着いたら家に寄せてもらうのねと言うと「生きていたらね」と…
そのセリフが、いつもの挨拶でしたが、まさか最後の言葉になるとは
会えば必ず元気でね!と励ましてくれていたのに。
たかしひろしとくにおとおるは同じ時代に生きて来たので寂しいです。
あちらに行ったら横山たかしも居るので仲良くやってください。
安らかにお休み下さい。
お疲れ様でした。
【海原はるかさん コメント】
余りの突然のお知らせに言葉を失ってしまいました。
長い長い芸人人生の中で、知り合ったのは本当に若手の頃でした。今の住まいに代わって御近所さんとして25年以上の良き友として、芸能界の少しだけ先輩として仲良くして頂きました。お互い酒を飲んで話をしていると、「絶対に負けたらあかん!」と常に前向きに叱咤激励して頂きました。
何時も色々な方を気遣って、自分を犠牲にしてでも人の為にやってあげれる本当に優しく素敵な人間であり、
僕が一番大好きな芸人酒井くにおさんでした。
本当に本当に酒井くにおさん ありがとうございました。
心より御冥福をお祈り申し上げます。くにおさん ありがとう、そして さようなら!
僕はあなたの事は絶対に忘れません。
【海原かなたさん コメント】
本当に残念です。
良き芸人仲間の一人として、お付き合いして頂きました。
芸能生活大変お疲れ様でした。
心から、ご冥福お祈り致します。
【森脇健児さん コメント】
酒井くにお師匠
辛いです、まだまだ教えて頂きたいことはたくさんありましたのに
言葉が見つかりません
【酒井くにお・とおるプロフィール】
酒井くにお 1948年5月3日生まれ。
酒井とおる 1951年5月12日生まれ。
岩手県奥州市
1970年 さがみ三太・良太に入門 コントを始める
青戸の劇場にて初舞台。半年後、木馬館の舞台に立つ
1972年 9月 来阪し漫才に転向
1974年11月 松竹芸能所属
1977年 3月 「第7回NHK上方漫才コンテスト」優秀敢闘賞受賞
1994年 4月 「第29回上方漫才大賞」奨励賞受賞
1996年12月 YTV「第25回上方お笑い大賞」金賞受賞
1997年 4月 「第32回上方漫才大賞」大賞受賞
2015年11月 「酒井くにおとおる45周年特別公演」
2020年11月8日 「芸歴50周年記念公演」
2021年12月 「第56回大阪市市民表彰」文化功労部門受賞
写真提供:©松竹芸能
【担当:芸能情報ステーション】