「長嶋さんとは、いろいろ思い出があるのでショックを受けているよ」長嶋茂雄さんの訃報を聞いて、祖父から届いたメールだ。私の祖父は、元朝日放送アナウンサーの植草貞夫(92)。「甲子園は清原のためにあるのか」という野球ファンなら多くの人が知るフレーズを残したアナウンサーだ。

長嶋さんと植草貞夫アナは特別な関係だった

私は幼少期から、長嶋さんのエピソードを祖父から聞いていた。普段は、ケージの近くで選手と話すなど、記者やアナウンサーには許されないことだったが、祖父はそうやって長嶋さんからも情報を得ていたと言う。「なんで関西のアナウンサーがあんな親しげに長嶋さんと話してるんや?」と周囲は驚いていたそうだ。

親交のきっかけは村山実さん

それは、阪神のエースだった村山実さんとの親交をきっかけに、長嶋さんとの縁が生まれたからだ。千葉県出身の長嶋さんと、曽祖父(祖父の父)が千葉県九十九里の出身という“千葉つながり”もあり、すぐに意気投合したという。

長嶋さんが北島三郎を熱唱

「長嶋さんは話題豊富で、その独特な語り口にいつも惹き込まれていた」と祖父は振り返る。シーズンオフには自身のトーク番組に長嶋さんを招き、滅多に人前で歌わない長嶋さんが、北島三郎さんの曲を熱唱したこともあった。

植草アナの忘れられない名シーン

そして、忘れられない実況もある。1973年7月1日、甲子園球場で行われた阪神対巨人。阪神の上田二朗投手が9回2死までノーヒットノーランで、快挙まであと一死と迫ったその試合で、長嶋さんが意地のヒットを放ち、上田さんの夢を砕いた。その瞬間を、祖父はあえて謳わず淡々と実況した。

ビジターチームでも特別な存在

阪神と巨人という、伝統の一戦。それを通じて生きた、選手、監督、実況者。阪神戦と高校野球、合わせて1500試合以上実況した祖父にとって、ビジターチームの選手だったにも関わらず、長嶋さんは特別な存在だったそうだ。

長嶋さんと祖父が築いた野球文化を実況で継承したい

今日、長嶋茂雄さんの訃報に接し、「ひとつの時代が終わったな」と。大変寂しげに語った。祖父の語ったスーパースターの姿をイメージし、野球の魅力を多くの人に伝えるため、私はこれからもマイクに向かいたい。

RKBアナウンサー 植草峻