長崎とミスタープロ野球
ミスタープロ野球、長嶋茂雄さんが3日朝、89歳で亡くなりました。NBCに残る貴重な映像で長崎での、長嶋さんの活躍を振り返るとともに生前、交流があった元選手に話を聞きました。
1963年、大橋球場で行われたプロ野球オープン戦「巨人対西鉄」戦が行われました。巨人の背番号「3」長嶋茂雄さんは、この試合で場外へたたき込むホームラン。長崎のプロ野球ファンを魅了しました。
2001年ビックNスタジアムで行われた「巨人対阪神」のオープン戦。スタンドに詰めかけた超満員の野球ファンのお目当ては当時、巨人軍の監督を務めていた長嶋茂雄さんでした。
2年間長嶋さんのもとでプレー
長嶋監督のもと2年間、投手として活躍した元巨人軍の香田勲男さんです。長嶋さんは選手としても、野球人としても特別な存在でした。

「やっぱり我々の子どものころからのなんて言うんですかね、憧れっていうか本当にもう球界のスーパースターなので、そういった意味では長嶋さんの言われる一言一言にはやっぱりなんかこう重みっていうかそういうの私たち、感じてやらしてもらっていました。」
なかなか名前を覚えてくれなかった
ある意味、長嶋さんらしい香田さんとの驚きのエピソードも。
「なかなか私、名前を覚えてもらえなくてあの後輩に木田(優夫)っていうピッチャーがいたんですけど、彼は47番で私が背番号48番で47と48、あと木田と香田となんかこう、似たようなところがあって、私をよく『木田っ!木田っ!』よく呼ばれてました。『はい』とは返事してたんですけどそこ訂正することはできない。なかなか名前を覚えてもらえなかったていうそんな思い出があります」。
タクシーの中でも「木田!」
香田さんは現役時代、1度だけ長嶋さんと同じタクシーに乗って移動したことがある。
甲子園球場での阪神戦。雨で中止となり、それぞれタクシーに乗り合わせて宿舎に帰るということになった。この時、香田さんは、長嶋さんと長嶋さんのマネージャーが乗った車に同乗することになった。野球人としてもまたとないチャンス。ただ、同じ巨人軍とは言えやはり長嶋さんはスーパースター、雲の上の人。緊張気味に助手席に乗って移動したが、長嶋さんは社内で香田さんのことを「木田」と呼んでいたという。
恩人の訃報に香田さんは
球界を背負ってきた国民的スター。香田さんにとっては恩人でもあります。
「巨人軍だけではなくてですね球界っていうのをすごく、ずっと背負われてというかずっと引っ張ってこられたていうかそういう人生じゃなかったのかな?なんて勝手に想像するんですけど、本当にお疲れさまでしたっていうことはお伝えしたいです。」